【勝海舟】幕末を駆け抜けた人生と【名言】!!最後の言葉「コレデオシマイ」の意味とは?!

勝海舟 両国 咸臨丸 ドゥーフ・ハルマ 蘭学 脳溢血 最後の一言 コレデオシマイ

 

幕末というのは日本にとって多くの偉人を生み出した

 

時代でありますが、その中でも特に大きな役割を担ったのが

 

勝海舟」です。

 

大砲や軍艦の開発、坂本竜馬西郷隆盛との関係性、

 

江戸城無血開城による功績など、勝海舟を語るとなると

 

色々なキーワードが出てきます。

 

しかし、とりわけ勝海舟が歴史好きの現代人から

 

人気がある理由はその「人間性」。

 

生粋の江戸っ子であり、良くも悪くも人間くさい男だったとされる

 

勝海舟ですが、亡くなる直前に放った最後の一言

 

コレデオシマイ」でした。

 

その言葉にはどんな意味が込められていたのか?

 

そんな勝海舟の最期を含め、激動の幕末を生きた

 

その人生をご紹介していきたいと思います。

 

また、勝海舟と繋がりが深いとされる西郷隆盛との

 

関係性についても分かりやすく解説。

 

これを見れば幕末史に詳しくなれて、同時代のドラマや映画なども

 

楽しく見られるようになりますので、ぜひチェックしていってくださいね。^^b

 

  • 勝海舟・最後の一言「コレデオシマイ」に隠された意味とは?!
  • 幕末を駆け抜けた勝海舟の壮絶な人生!!
  • 実は勝海舟は「」に乗れなかった?!
  • 勝海舟と西郷隆盛との意外な関係性とは?!
  • 勝海舟の名言集!!

 

 

勝海舟・最後の一言「コレデオシマイ」に隠された意味とは?!

 

勝海舟 両国 咸臨丸 ドゥーフ・ハルマ 蘭学 脳溢血 最後の一言 コレデオシマイ

 

勝海舟の死因とは?!

 

まず、最初にご紹介しておきたいのは

 

勝海舟が放った最後の一言についてです。

 

こちらは非常に有名な言葉なのですが、勝海舟は晩年を

 

赤坂氷川の自宅でひっそりと過ごしていたとされています。

 

明治32年1月19日、勝海舟は自宅の風呂から上がったあと

 

急に胸の苦しさを訴え、気付け薬代わりにブランデーを飲む

 

と意識を失い昏倒。その2日後に息を引き取りました。

 

そんな勝海舟の最期を看取ったのは妹であり、

 

その妹が聞いた一言というのが、

 

コレデオシマイ

 

というなんともドラマティックな言葉です。

 

勝海舟死因脳溢血脳内出血の総称)だったのですが、

 

明治時代の医学では急性の脳溢血に対応することは

 

難しかったのでしょうね。

 

そしてこのとき放った「コレデオシマイ」という言葉が

 

歴史好きの人間の心を掴み、多くのドラマや映画で

 

勝海舟が取り上げられる要素にもなっているわけです。

 

そんな最後の言葉に込められた意味については、

 

様々な考察がされていますので、

 

いくつかご紹介してみたいと思います。

 

 

コレデオシマイに込められた意味とは?

 

勝海舟 両国 咸臨丸 ドゥーフ・ハルマ 蘭学 脳溢血 最後の一言 コレデオシマイ

 

それでは、勝海舟の「コレデオシマイ」という最後の一言には

 

どんな意味が込められていたのか、ということに対する

 

歴史好きの方たちの考察をご紹介していきましょう。

 

“激動の幕末を生きた勝海舟が、最後に人生を振り返ったとき
 自分が死ぬことによって本当の意味で新時代が到来する
 ということを悟った一言ではないか“

 

自分の死期を悟り、「コレデオシマイ」かと嘆いたのではないか”

 

“死ぬことは夢から覚めたようなもの、と語っていた勝海舟
 まさに死ぬ寸前になって「自分が見ていた夢が終わること
 を示唆した一言だったのではないか”

 

このような色々な考え方が議論されていますが、

 

勝海舟という人間の性格を踏まえると

 

「潔さのある一言」だったのではと推測されます。

 

そのため、

 

「人間が死ぬなんてことは夢から覚めるようなもんだから
 なんの心配はいらねぇよ。見てきた夢が終わるだけ。
 さて、これで俺の人生もおしめぇだ」

 

と江戸っ子口調で語っているようにも感じられます。

 

そんな勝海舟ですが、どんな人生を送ってきたのか興味がわきますよね?

 

なんとなく名前は聞いたことあるけど、実際に何をした人なのか?

 

分からないという方も多いのではないでしょうか。

 

そこで、この次から勝海舟がどんな人生を送ってきたのかを

 

分かりやすく説明していきたいと思います。

 

勝海舟の人生を知ることで、最後の一言がさらにドラマティックに

 

聞こえてくるようになるはずですので、ぜひご覧になっていってください。

 

 

幕末を駆け抜けた勝海舟の壮絶な人生!!

 

勝海舟、犬に噛まれる!睾丸がひとつだけに?!

 

勝海舟 両国 咸臨丸 ドゥーフ・ハルマ 蘭学 脳溢血 最後の一言 コレデオシマイ

 

勝海舟は1823年に現在の東京・両国で誕生しました。

 

旗本の家系に生まれた勝海舟ですが、父親はそこまで

 

権力のある人間ではなかったため、比較的細々とした

 

生活を送っていたとされています。

 

そんな勝海舟は幼少の頃に野良犬睾丸を噛まれて

 

瀕死の重傷を負った経験があり、

 

その後は睾丸がひとつだけになってしまいました。

 

しかし、大人になってからは他の志士と同様に、

 

正妻のほかにも多数いたということですから、

 

性欲がなくなってしまったわけではないようですね。^^;

 

英雄色を好むとは良く言ったものです。。(笑)

 

 

勉強家であり非常に優れた頭脳を持っていた勝海舟

 

勝海舟 両国 咸臨丸 ドゥーフ・ハルマ 蘭学 脳溢血 最後の一言 コレデオシマイ

 

勝海舟は先見の明がある人物として知られていますが、

 

鎖国を続ける当時の日本において、20代の頃からいち早く

 

蘭学の勉強に取り組んでいました。

 

その修行中のエピソードとしては、当時日本では

 

販売が禁止されていた蘭学の本を丸々1冊手書きで書き写して

 

勉強していたということですから、その熱意の高さが伺えます。

 

ちなみにこの蘭学の本というのは「ドゥーフ・ハルマ」という

 

蘭和辞書のようなものだったのですが、

 

なんと!600両ほどの値段が付いていました。

 

江戸時代における1両はだいたい10万〜13万円ということですから、

 

6000万〜7000万円ほどの価値があったということになります。^^;

 

勝海舟はこれを知り合いの蘭学者から

 

30両ほどの貸し賃でレンタルし、2冊手書きコピーしました。

 

1冊は自分用、そしてもう1冊はレンタル料として払った

 

30両の借金返済にあて、抜け目の無い人物だったんですね。

 

こうした賢さも兼ね備えていたところが勝海舟の凄さと言えますね。

 

 

頭脳を評価され幕政へと参加、海軍から陸軍のトップへ

 

勝海舟 両国 咸臨丸 ドゥーフ・ハルマ 蘭学 脳溢血 最後の一言 コレデオシマイ

 

こうして蘭学の勉強に励んだ勝海舟は、その後

 

田町に蘭学と兵法学をメインに教えるを開きました。

 

この塾が非常に評判となり、勝海舟の名前が

 

江戸中に徐々に広がるようになっていきます。

 

そしてこの頃日本は外国との間で、

 

開国」か「鎖国」を問われる時代へと突入。

 

ペリー来航という歴史的事件も起こったことにより、

 

議論は加速していき、ついには幕府が一般に

 

対応策を公募することになったのです。

 

それに対して意見書を提出していたのが勝海舟であり、

 

この具体策が非常に的確だったため幕政への参加が

 

老中・阿部正弘によって認められました。

 

勝海舟はオランダ語も話せる上に兵法にも精通していたので、

 

一気に長崎の海軍伝習所の教頭へと抜擢されることになります。

 

また、こうして幕政へと参加することになった勝海舟は、

 

その後海軍を経て陸軍のトップにまで登り詰めていますので、

 

軍事参謀としては抜群の才能があったことが分かりますね。

 

 

実は勝海舟は「船」に乗れなかった?!

 

勝海舟 両国 咸臨丸 ドゥーフ・ハルマ 蘭学 脳溢血 最後の一言 コレデオシマイ

 

ペリー来航後はアメリカとの貿易や交渉が行われるようになり、

 

その一環として日本の船団も渡米することになりました。

 

このとき護衛艦・咸臨丸に乗って同行した勝海舟ですが、

 

船酔いがひどすぎてまったく動けなかったという記述が残されています。

 

しかし、これに関しては「伝染病に罹っていた」という説もあり、

 

勝海舟がまったく船に乗れなかったというわけではないようです。

 

ただ、大半の日本人乗組員が船酔いでダウンしていたことは

 

事実のようですので、おそらく勝海舟も

 

船酔いに苦しんだのではないでしょうか。

 

 

勝海舟と西郷隆盛との意外な関係性とは?!

 

江戸無血開城を提案、西郷隆盛とは「睾丸」繋がり?

 

勝海舟 両国 咸臨丸 ドゥーフ・ハルマ 蘭学 脳溢血 最後の一言 コレデオシマイ

 

勝海舟と言えば西郷隆盛というほど2人の関係は密接です。

 

実は、西郷隆盛睾丸肥大という症状があった

 

とされていますので、同じ睾丸に関する悩みを持っていた

 

という意味では共通点がありますよね。

 

そんな勝海舟と西郷隆盛ですが、2人を語る上で

 

はずせないのが「江戸城無血開城」です。

 

江戸無血開城を分かりやすく説明すると、

 

西郷隆盛たち討幕派が新しい政権を樹立するために

 

江戸襲撃テロ計画」を実行しようとしたところを

 

勝海舟交渉によって阻止したことを指します。

 

このとき、勝海舟は西郷隆盛に対して以下のような条件を提案しました。

 

「幕府はほぼすべての権限を朝廷に引き渡すので、
 どうか徳川慶喜以下家臣たちを殺さないで欲しい」

 

当時は主君が処刑されることほど部下にとって恥ずかしいことはなく、

 

そのため最後の将軍・徳川慶喜だけは存命させたいという

 

思いが勝海舟にとって強かったわけです。

 

また、戦っても確実に負けることが分かっていた勝海舟にとっては、

 

江戸を無傷で新しい時代へと残しておきたいという考えもありました。

 

ちなみに勝海舟西郷隆盛というのはそれまでにも何度か

 

会談や交渉を行っており、さらにお互いがその実力を

 

認め合っていたので、話し合いはスムーズに決着。

 

江戸への攻撃を取りやめた西郷隆盛は、勝海舟の条件を

 

飲んだことにより、誰の血を流すわけでもなく

 

新政府樹立を達成することになりました。

 

襲撃を受けなかった江戸は、そのままの状態を維持できたので、

 

新しい政府が出来たあとも日本の中心地として

 

生産性をキープできたわけですね。

 

なお、新しい政府が誕生したあとも勝海舟は旧幕府側の

 

代表的な人物として国政に関与

 

外務大臣や元老院議官、枢密顧問官といった役職にも

 

就いていますので、その手腕のほどは高く評価されていたとされます。

 

 

勝海舟の名言集!!

 

勝海舟が残した名言の数々!!

 

勝海舟 両国 咸臨丸 ドゥーフ・ハルマ 蘭学 脳溢血 最後の一言 コレデオシマイ

 

“いつ松を植えたのか、杉を植えたのか、
 目立たないように百年の大計を立てることが必要さ。”

 

先見の明があったとされる勝海舟らしい一言です。

 

こうした考え方が江戸無血開城を実現させたのではないでしょうか。

 

敵は多ければ多いほど面白い

 

自分に対して批判的な人物・意見に対して、

 

それが新しい考え方を生むことを理解していた勝海舟。

 

人間としての器の大きさが感じられます。

 

“行政改革というのは、よほど注意してやらないと弱い物いじめになる。
 重要なのは、改革者自身が己を改革する事だ”

 

現在の国のトップや経営者に対しても非常に有効な一言だと思いますね。

 

自分自身がどうなるべきかを考えることが改革への第一歩と言えるでしょう。

 

 

幕末から明治という激動の時代を駆け抜けた勝海舟

 

その生き方・考え方は現代的な部分を持ち合わせながら、

 

江戸っ子としての美学のようなものも感じさせてくれます。

 

コレデオシマイ

 

最後に放った言葉の真意がどこにあるのか、

 

真相はもちろん本人にしか分かりません。

 

しかし、日本のために命をかけて戦った勝海舟にとっては

 

「自分が国のために動くのもこれでオシマイだ」

 

と言っているようにも感じられます。

 

また、こうした勝海舟の人生を知った上で、歴史ドラマや映画を

 

見てみるとまた違った感動があるのではないでしょうか。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!