裏切りが原因?【織田信長】と浅井長政の敵対した理由とその後…

織田信長 浅井長政 朝倉義景 足利義昭 お市の方

 

織田信長と同盟関係を結んでいたのが、

 

浅井長政」ですね。

 

少なからず同盟関係を結んでいたということは、

 

お互いの利害が一致していたハズですが、

 

後に2回も戦う事態になります。

 

一度同盟を結んだ相手に対して、

 

自分からは決して裏切らない性格を持つ織田信長を考えると、

 

2回も戦うのは異常事態と言えるでしょう。

 

どうして2人は決別してしまったのでしょうか?

 

ここでは、織田信長と浅井長政の敵対した理由とその後

 

についてご紹介してきます。

 

 

織田信長と浅井長政!2人はもともと同盟関係だった

 

織田信長 浅井長政 朝倉義景 足利義昭 お市の方

 

そもそも織田信長と浅井長政は、

 

どうして同盟関係を築いたのかを

 

簡単におさらいしておきます。

 

1564年、尾張の国を中心として勢力を急拡大してきた

 

織田信長は、

 

美濃で下剋上を果たした

 

斎藤道三の躍進ぶりに警戒感を募らせていました。

 

そこで斎藤道三を牽制する目的で、

 

不破光治を使者として浅井氏のところへ遣わし、同盟関係を持ちだします

 

この同盟の条件は浅井長政にとって良い内容でしたが、

 

浅井家の家臣たちは満場一致で

 

賛成をした訳ではありませんでした。

 

天下統一を目標として、

 

勢力を急拡大している織田信長ですから、

 

この同盟には何か裏があるのではないかと

 

疑いを持った家臣がいたんですね。

 

さらに、浅井長政の父である久政と仲が良かった、

 

朝倉義景と織田信長が不仲であったので、

 

同盟を反対する者もいたようです。

 

家臣の中には反対者が出ましたが、

 

それでも浅井側にとって条件の良い同盟内容でした。

 

同盟を結んだ証拠として、

 

織田信長の妹であるお市の方を長政の妻として、

 

両家は婚姻関係となります。

 

こうすることにより、織田信長は

 

斎藤道三を牽制するのと同時に

 

上洛への経路を確保したのです。

 

織田信長は、浅井長政の腕前を高く評価しており、

 

同盟関係を結んだことを大変嬉しく思いました。

 

通常、結婚資金はこの場合浅井家が出すのですが、

 

それを織田家が出していたようですから、

 

よっぽどこの同盟が気に入ったようです。

 

 

しかし、2人の同盟関係は長く続かなかった

 

織田信長 浅井長政 朝倉義景 足利義昭 お市の方

 

浅井家に有利となった同盟関係ですが、

 

良好な状態は長く続きませんでした。

 

1570年、浅井家と織田家が同盟を結ぶ際に、

 

浅井家が持ち出した「朝倉への不戦」を織田信長が破ってしまったんですね。

 

三河にいた徳川家康と一緒に織田信長は、

 

越前にいる朝倉方の城を攻めたのです。

 

同盟関係を結ぶ前から、朝倉氏と織田家は不仲状態が続いており、

 

そのことは浅井長政も知っていました。

 

悪いことに、浅井家は古くから

 

朝倉家と良好な関係を続いていたので、

 

同盟関係を結ぶ織田家が

 

朝倉家を責めるようなことがあってはいけません。

 

そこで同盟を結ぶ条件として、

 

朝倉家を攻めないように約束したのです。

 

つまり、釘を刺した形ですね。

 

ところが、当時は友好関係にあった

 

足利義昭が正式に将軍についた際、

 

信長は朝倉家に正式に参内するようにと

 

命令書を何度も送りましたが、

 

それをすべて拒否られてしまいました。

 

短気で有名な織田信長ですから、

 

我慢の限界を感じ将軍に対して失礼な態度を取る

 

朝倉家を討伐するために、挙兵をしたのです。

 

同盟の条件として、朝倉家とは戦いをしないと

 

条件付けられた信長ですから、朝倉家へ挙兵する前に

 

何かしら発言があって良いものですが、

 

何も言わずに朝倉家へ攻めたのです。

 

浅井長政はまさに寝耳に水の状態だったことでしょう。

 

不戦の誓いをして安心していたところ、

 

突如として信長が朝倉家へ挙兵したのですから。

 

浅井長政は織田家と朝倉家の間で、

 

板挟みの状態になってしまいました。

 

古くから親交があり、戦において

 

何度も助けられた朝倉家側につくべきか、

 

それとも妻の兄である織田家側につくべきか、

 

優秀な武将であった浅井長政ですら判断に悩んだようです。

 

どちらに転んでも、この先相当な

 

険しい道が続いているハズですから

 

答えが簡単に出るワケもなく悩み苦しんでいました

 

それを見かねた家臣たちが、

 

長政の父を担ぎ出して説得させ、

 

朝倉家側につくことにしたのです。

 

これにより、同盟関係は崩れました。

 

まとめてみると、同盟関係が崩れてしまった

 

原因は大きく分けて以下の2つです。

 

  • 同盟関係を結ぶ際の内容
  • 浅井家と織田家と朝倉家の関係

 

朝倉氏の存在が、同盟関係に

 

終止符を打たせたようなものなんですね。

 

この後、信長は両者の連合軍と戦う状況となり、

 

事態は混沌としていきます。

 

 

金ヶ崎の戦い勃発!織田信長の撤退…

 

織田信長 浅井長政 朝倉義景 足利義昭 お市の方

 

信長が朝倉義景と対立し、

 

勃発した戦いが「金ヶ崎の戦い」です。

 

戦国史に残る、織田信長が撤退した戦として有名ですが、

 

そこには浅井長政が大きく関与していました。

 

織田信長が浅井長政と同盟を結んだ真の理由は、

 

朝倉義景がいる越前国付近まで

 

軍を持っていけるようにするためでした。

 

浅井長政は北近江を領地として持っており、

 

越前国付近にまで兵を送るためには、

 

浅井長政と同盟を結んで軍を進めたかったんですね。

 

もし、浅井家と同盟を結んでいなければ、

 

朝倉義景と戦っている最中に背後から

 

浅井長政が攻めてこられる可能性があり、

 

さすがの織田軍も挟み撃ちにされては持ちません。

 

そこを警戒して信長は事前に

 

浅井家と同盟関係を結んだと言われているのです。

 

ところが、信長にとっては予想もしない事態に発展。

 

なんと、浅井家が朝倉家側についてしまい、

 

当初から懸案していた挟み撃ちの状況になってしまったのです。

 

ここで助けてくれたのが、

 

信長の妹で長政の妻「お市の方」でした。

 

陣中見舞いと称し、お市の方は信長へ

 

「浅井軍が背後から攻めてくるので早く逃げるべき」

 

密告したとされています。

 

これにより、信長は殺されることなく領地へと引き返せました。

 

 

連合軍同士の激突!姉川の戦い勃発!

 

織田信長 浅井長政 朝倉義景 足利義昭 お市の方

 

戦国時代を語ることで外せない、「姉川の戦い」がついに勃発します。

 

この姉川の戦いは、同盟関係を破棄され背後から攻められた

 

金ヶ崎の戦い」の報復戦という名目を持っていました。

 

あと少しで自分が殺されるという状況まで追い込まれたのと、

 

浅井家の裏切りにより堪忍袋の緒が切れた信長は、

 

持てる最大勢力を導入して浅井・朝倉連合軍に挑みます。

 

しかし織田軍だけでは、戦力が乏しいと判断した信長は

 

三河にいた徳川家康と協力することを決定。

 

これにより、織田・徳川連合軍と、浅井・朝倉連合軍という形になり、

 

現在の滋賀県長浜市付近で激突。

 

織田軍は13段という強い布陣を敷いて戦いに挑みますが、

 

一騎当千と言われた先鋒

 

磯野の猛攻にあい11段まで突破されてしまいます。

 

ところが信長と家康は戦における天才と言われていましたから、

 

機転をきかせてどうにか磯野を撃破し、

 

姉川の戦いに勝利します。

 

姉川の戦いで勝利した信長に対して、本願寺は脅威を覚え、

 

このまま信長が独走しては堪らないと感じていました。

 

そこで周囲で信長に対して敵対している者と連携して、

 

信長包囲網」を形成していきます。

 

浅井・朝倉連合軍も、やはり敵対していた者たちと

 

手を組んで再び信長へ戦いを挑むのでした。

 

ここで織田軍は苦戦し、森可成や織田信治などを討ち取りました。

 

苦戦した信長は、足利義昭に和睦朝廷を頼みそれを実現させ、

 

両氏は和睦をして信長は窮地を脱します。

 

信長が足利義昭にお願いするのですから、

 

浅井・朝倉連合軍がよっぽど強かったんですね。

 

 

朝倉家の滅亡とその後…

 

織田信長 浅井長政 朝倉義景 足利義昭 お市の方

 

浅井・朝倉連合軍は、このままの勢いを保つかと思いきや、

 

両軍の協力関係であった延暦寺を信長が焼き討ちし、

 

大きな打撃を与えます。

 

1572年には、信長が浅井家の本拠地である

 

北近江へ再進軍

 

織田軍の進軍に脅威を感じた浅井長政は

 

同盟相手である朝倉家に支援を要請し、

 

両軍はにらみ合いの状態が続きます。

 

直接対決はしていないものの、

 

明らかに軍勢は信長のほうが上であり、

 

浅井・朝倉連合軍は厳しい状況になっていきました。

 

1572年9月には、足利義昭と信長の関係が悪化しており、

 

義昭は「風林火山」として

 

知られる武田信玄に援軍を要請。

 

武田信玄はそれに応えて、

 

援軍を出し様々な戦略を出していきました。

 

浅井長政は武田信玄から、

 

信長を岐阜方面へ戻さないように

 

足止めをする役割を命じられていましたが、

 

織田軍の勢いに負けて少しずつ押し戻されている状況でした。

 

ついに1573年、「一乗谷の戦い」が勃発し、

 

朝倉軍は信長に跡形もなくやられてしまい、

 

朝倉家は滅亡します。

 

連合軍の片割れが滅亡したとあっては、

 

浅井長政であろうとも

 

織田軍を撃破するだけの力は残されていません。

 

それを十分に理解していた信長は、

 

無駄な戦闘はせずに降伏したらどうだと、

 

秀吉などを送り出し説得しましたが、

 

長政はそれを拒否し続けます。

 

最終勧告も拒否した浅井長政は、

 

そのまま小谷城内において自害し、

 

29歳でこの世を去ったのです。

 

 

いかがでしたか?

 

同盟関係を結んだ織田信長と浅井長政ですが、

 

朝倉家という存在が両者の関係を大きく変えてしまいました。

 

もし、浅井家が朝倉家ではなく織田家側についていれば、

 

歴史は大きく変わっていたかもしれませんね。

 

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引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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