【伊藤博文】はなぜ殺されたのか? 暗殺の裏の裏が!?

伊藤博文 暗殺 ハルビン駅 安重根(アン・ジュングン)

 

木戸孝允高杉晋作久坂玄瑞らと

 

明治維新の動乱を生き、新政府樹立後は

 

維新三傑西郷隆盛大久保利通木戸孝允)の

 

次世代のリーダーとして「伊藤博文」は

 

初代内閣総理大臣にまで上り詰めます。

 

一般的にも千円札の肖像として有名ですよね。

 

この伊藤博文は異国の地で襲われ凶弾に倒れています。

 

伊藤博文はなぜ殺されなければならなかったのか??

 

暗殺者の正体とは??

 

果たして真実は明らかになっているのか??

 

今回は伊藤博文暗殺事件の真相に迫ってみたいと思います!!

 

  • 伊藤博文 日本一の出世街道とは?!
  • 問題の伊藤博文、暗殺の現場とは?!
  • 実行犯!安重根の人物像とは?!
  • まさに複雑怪奇!!暗殺の動機とは?!
  • まさか!?安重根の誤解だった??

 

 

伊藤博文 日本一の出世街道とは?!

 

伊藤博文 暗殺 ハルビン駅 安重根(アン・ジュングン)

 

1841年(天保12年)長州藩の農民の子として生まれます。

 

木戸孝允は1833年生まれなので8歳年下となります。

 

1854年に父親が足軽の伊藤家の養子となったことから

 

自身も伊藤姓を名乗ります。

 

木戸孝允は若い頃の伊藤博文

 

「才劣り学幼きも、質直にして華なし、僕頗(すこぶ)るこれを愛す」

 

と評しています。

 

「特に優秀でもなく華もないが素直でかわいいところがあるので可愛がっている」

 

といった内容です。

 

人に好かれる人物だったようですね。

 

その後、1863年に「長州五傑」いわゆる長州ファイブとして英国に渡っています。

 

英国での衝撃は伊藤博文攘夷派から

 

開国富国強兵に転じさせました。

 

しかし、長州征伐などの動乱を知り1年で英国から帰国、

 

高杉晋作の「奇兵隊」に参加し維新に奔走します。

 

そして新政府では要職を歴任しながら大久保利通の後を次ぎ、

 

内務卿に就任、1855年初代内閣総理大臣となります。

 

 

問題の伊藤博文、暗殺の現場とは?!

 

伊藤博文 暗殺 ハルビン駅 安重根(アン・ジュングン)

 

現在の中国東北部、満州の中心都市の

 

ハルビン駅」で1909年(明治42年)に事件はおきました。

 

では、当時の情勢を振り返ってみましょう。

 

朝鮮半島から大陸進出への覇権を巡って日清戦争に勝利し、

 

そして南下政策を強めるロシアに対して日露戦争で勝利していました。

 

しかし、強国ロシアに対しては実態はアジアの片隅で

 

局地戦に勝利したに過ぎず、国力で劣る日本は

 

再度ロシアと戦争となるわけにはいきません。

 

朝鮮半島の権益を固めたい日本は、

 

京城(ソウル)に韓国統監府を設置し、

 

事実上の植民地政策となる日韓併合を推進していました。

 

このあたりでは現代でも日本と韓国の間で

 

政治課題となっている微妙な問題ですが、

 

当時の世界は帝国主義が世界的な体制で、

 

国際法にもかなった活動であったことは付け加えておきましょう。

 

初代韓国統監府統監となった伊藤は、

 

ロシア側と対話によって対立を回避するために

 

ロシア蔵相「ウラジーミル・ココツェフ」と会談を持つべく

 

ハルビンに赴いています。

 

ハルビン駅に降り立ちココツェフと握手を交わそうとした

 

伊藤ら一行は合計7発の銃弾を至近距離から撃ち込まれました。

 

被害にあったのは伊藤博文だけではなく、

 

ハルビン総領事の川上俊彦、随行していた

 

貴族院議員の室田義文なども撃たれています。

 

犯人は「安重根(アン・ジュングン)」。

 

彼の自伝から状況を探ってみます。

 

顔が黄ばんだ白髭の背の低い老人」を

 

伊藤博文であると思い、その人物に向けて4発を発砲。

 

しかし、人違いであっては大変なので

 

「その後ろにいた人物の中で最も威厳のあった人物にも
さらに3発発砲した」

 

とあります。この自伝を素直に読むと、

 

そもそも伊藤博文暗殺を目論んだ

 

安重根伊藤博文の顔を知らなかった??

 

という疑問を持ってしまいますよね。

 

では、暗殺をおこなった安重根とはどういう人物なのでしょうか。

 

 

実行犯!安重根の人物像とは?!

 

伊藤博文 暗殺 ハルビン駅 安重根(アン・ジュングン)

 

ご覧の通り、「世界のナベアツ」にそっくり安重根ですが・・・^^;

 

1879年生まれの朝鮮の独立運動家として知られています。

 

伝統的な儒学教育を受けた後、

 

敬虔なカトリック信者となっています。

 

若い頃から朝鮮独立を掲げた義兵運動に参加していますが

 

活動に失敗満州に潜伏

 

伊藤博文のハルビン訪問を知り、駅頭で暗殺

 

即座に日本軍に捕らえられ、関東都督府地方法院で

 

死刑判決を受け処刑された。

 

この時、安重根を裁いた関東都督は

 

現在の首相安倍晋三曽祖父にあたります。

 

このあたりも韓国の安倍首相嫌いにつながっているんですね。

 

 

まさに複雑怪奇!!暗殺の動機とは?!

 

伊藤博文 暗殺 ハルビン駅 安重根(アン・ジュングン)

 

安重根は関東都督の裁判で暗殺理由の15条を表明しています。

 

  • 1.明成皇后を殺害した罪
  • 2.1905年11月、韓国を日本の保護国にした罪
  • 3.1907年丁未七条約を強制的に結ぶようにした罪
  • 4.高宗皇帝を退位させた罪
  • 5.軍隊を解散させた罪
  • 6.罪のない人々を虐殺した罪
  • 7.韓国人の権利を剥奪した罪
  • 8.韓国の教科書を燃やした罪
  • 9.韓国人たちが新聞に寄与しないようにした罪
  • 10.(第一銀行)銀行紙幣を強制的に使用した罪
  • 11.韓国が300万ポンドの負債を抱えた罪
  • 12.東洋の平和を破った罪
  • 13.韓国に対する日本の保護政策を糊塗した罪
  • 14.日本の天皇の父上である孝明天皇を殺した罪
  • 15.日本と世界を欺いた罪

 

要するに韓国併合に反対ということですが、この中で不思議なのは

 

  • 1.明成皇后を殺害した罪
  • 14.日本の天皇の父上である孝明天皇を殺した罪
  • 15.日本と世界を欺いた罪

 

この3項は本当に日本を憎んだ故の文章でしょうか?

 

安は尋問の中でこう述べています。

 

「日本が韓国に野心があろうがなかろうが、
それはどうでもいいことです。東洋の平和ということを眼中に置いて、
伊藤博文の政策が誤っていることを憎んでいます。」

 

「日本の天皇の宣言は、韓国の独立をはかり
東洋平和を維持すると述べておられるのに。
日本が韓国皇太子の教育に尽力したことには
韓国民が非常に感謝しています。」

 

要するに、

 

日本の天皇は韓国の独立を支持し東洋の平和願っているのに、
伊藤博文がそれをまげて韓国を併合した。
それを除けば日本には韓国国民も感謝をしている。

 

ということです。

 

根っからの「日本憎し」で暗殺におよんだわけではないようです。

 

安重根は反日思想の持ち主ではないことが推察されます。

 

平和を望んだクリスチャンであり日本や日本国天皇に

 

一定の敬意を払っていたこともわかります。

 

問題は、伊藤博文という政治家への誤解にありました。

 

「伊藤博文は、明治天皇の意志に逆らった独裁を
朝鮮半島で勝手におこなっている」

 

という誤解です。

 

 

まさか!?安重根の誤解だった??

 

伊藤博文 暗殺 ハルビン駅 安重根(アン・ジュングン)

 

そもそも伊藤博文は当時の政府の中でも

 

最も日韓併合に反対していた政治家の一人です。

 

伊藤博文は、

 

保護国化して一時的に統治する」ことを目的として

 

初代韓国統監の任についています。

 

韓国を成長させたうえで、韓国人による

 

自立した国家をつくろうとしていたのでしょう。

 

これは、伊藤博文新渡戸稲造に語った言葉から推察されます。

 

「君、朝鮮人はえらいよ。この国の歴史を見ても、
その進歩したことは、日本より遥か以上であった時代もある。
この民族にしてこれしきの国を自ら経営できない理由はない。
才能においては決してお互いに劣ることはないのだ」

 

新渡戸稲造の著書「偉人群像」をぜひご参照ください。

 

安重根は逮捕後の尋問の中でこうも述べています。

 

「これで韓国は日本の協力のもとで独立できる。」

 

しかし悲しいことに伊藤博文という日韓併合に反対していた

 

政治家を暗殺したことがきっかけとなって、

 

後を引き継いだ山形有朋らの手によって

 

日韓併合は成されてしまいます。

 

とても悲しい誤解と結末ですが、これが歴史的な事実のようです。

 

安重根は収監された後に、自分自身の考えが甘いことを

 

反省したそうですが、明治天皇は東洋の平和を願っていると

 

最後まで信じていたとも伝えられています。

 

日本と韓国の間には、古代から様々な課題が存在しています。

 

あまりにも近い国過ぎるのかもしれません。

 

今回の推察に関しても、反対意見の方もいらっしゃると思いますので、

 

一つの考え方として読んで頂ければ幸いです。

 

そして、現在も不幸な戦争をはさんで日本と韓国の間は

 

決して良好な関係とはいえない状態です。

 

しかしこれは、近すぎるが故の「兄弟げんか」なのかもしれません。

 

実際に不幸にあった方々、苦しい思いをした方々が

 

数多くいらっしゃるのも事実です。

 

いつか乗り越えて両国は真の兄弟になれる日が来ることを切に願います。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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