まるでマンガのヒーロー?!名言から分かる【上杉謙信】の全くブレない生き方!!

上杉謙信 名言 毘沙門天 敵に塩を送る


戦国時代最強の武将と言われている「上杉謙信」。

彼は戦で殆ど負けたことがなく、

軍神とまで言われていましたが、ただ強いだけではなく、

弱者にはとても優しかったのをご存知でしょうか?

彼は私利私欲のための戦は一切せず、

また援軍を頼まれたら必ず引き受けて戦場に赴く、

」を貫く人でもありました。

その強さも優しさも戦国武将ではナンバー1と言われるほど。

とことん強く、とことん優しい・・・これって・・・

まるでアンパンマンのようではないですか?(笑)

そんな謙信は、その生涯に沢山の「名言」を残しています。

その名言の多くは、軍神と言われた謙信らしい

覚悟に満ちた力強いものであったり、

義の人らしい一本筋通った誠実さが伝わるものであったりします。

そこで、ここではマンガのヒーローのような謙信の生き様を、

彼の残した数々の名言とともにご紹介いたします。

  • 上杉軍の強さの秘密は謙信のマンガ並みの度胸??
  • 」の人、上杉謙信は人柄もまるでマンガのヒーロー?!
  • 謙信のブレない人柄と人生が伝わる名言の数々!!


上杉軍の強さの秘密は謙信のマンガ並みの度胸??


上杉謙信 名言 毘沙門天 敵に塩を送る


軍神と言われた上杉謙信の強さの

秘密とはなんだったのでしょうか?

まず謙信の幼少期から振り返ってみましょう。

謙信は幼いころから体格がとても大きく、

頭も良かったのですが、性格は乱暴

周囲の大人は手を焼いたようです。

そして7歳になると林泉寺に預けられました。

林泉寺では謙信の乱暴な性格は徐々に落ち着き、

彼は教養兵学をしっかり学びました。

特にこの林泉寺では、模型を使った戦闘シミュレーションで、

城攻めや野戦時の軍の動かし方などを教えていたため、

その知識が彼の勝負強さの土台となったようです。

そして謙信が13歳に時に、父の長尾為景戦死

その後、越後の豪族が反乱を起こしたため、

謙信はわずか14歳で出陣しこれを撃退

初陣を飾ります。更に謙信の勢いは留まるところを知らず、

次々に手柄をたて、やがて家臣から信望を集めます。

その弟に嫉妬した兄・晴影は、謙信を倒そうと画策しますが、

最終的に和議を結んだ末、謙信が長尾家の当主になります。

やがて、謙信はて君だった上杉憲政から

山内上杉氏の家督を譲られ、上杉家の当主となり越後を治めていきます。


このように謙信は、父親に守られることなく、

10代前半からを豊富に経験し、

命の危険にさらされる修羅場を何度も経験していたのです。

更に、戦で大将は後方の本陣で指揮をとるのが普通でしたが、

謙信は敵の本陣に迫る勢いで前方にいたそうです。

それって、まるでマンガの世界?!それも小さな軍隊なら、

大将が先頭に出て士気を高めることもありますが、

数千から万単位の大軍で、大将が先頭に立つ例は殆どありません。

となれば、上杉軍の士気は当然、

敵よりも遥かに高かったことは想像がつきますよね。

こうした謙信のマンガのヒーロー並みの度胸と、

若い時からの実践経験の豊富さが、

上杉軍の強さの秘密であったようですね。

更に謙信は自身のことを「毘沙門天の生まれ変わり」だと信じていました。

戦の神である毘沙門天を自分の前世だと考え、

戦いのときに用いた旗の文字は、『毘の一字旗』としました。

なんだか、自身を戦いの神と思い込むあたりも、

マンガちっくではありますよね。

敵は上杉軍の旗を見ただけで震え上がったそうです。

神の生まれ変わりを信じた大将が先頭にたって、

正面から向かってくる軍隊なんて、想像しただけで震えあがりますよね。^^;


「義」の人、上杉謙信は人柄もまるでマンガのヒーロー?!


上杉謙信 名言 毘沙門天 敵に塩を送る


上杉謙信は、強さだけでなく、

義を重んじる人」としても数々のエピソードが伝えられています。

戦国時代の将軍たちは裏切りや嘘は当たり前で、

同盟も信用できないものでしたが、

そんな時代に上杉謙信は弱者を助け、

私利私欲での戦もしませんでした。

そのいかにも「正義の味方」、という人柄もまた、

マンガに出てくるヒーローのようですよね。^^

武田信玄との5度におよぶ川中島の合戦も、

信玄に追われた信濃の豪族たちの救済のためでした。

頼られたら断れない性格だったのでしょう。

また、「敵に塩を送る」という諺のもととなった、

敵将武田信玄に塩を送った逸話からも分かるように、

困っている人が目の前にいたら、

それがたとえであっても手を差し伸べるような

寛容さがあったそうです。

そして謙信は越後の土地を奪おうとする者とは

戦うけれど、終生、領地拡大のための戦いを

仕掛けることはありませんでした。

越後の人と土地を守ること」が自分の使命、

と思っていたのかもしれませんね。


3.謙信のブレない人柄と人生が伝わる名言の数々


上杉謙信 名言 毘沙門天 敵に塩を送る


我を毘沙門天と思え。

謙信は自身のことを「毘沙門天の生まれ変わり」だと

信じていたと前述していますが、

そのことを家臣たちにも表明しており、

その際に「我を毘沙門天と思え。」と言ったそう。

その信仰は徹底しており、肉類を断ち

また女性と交わることを自ら禁じ、

侍女さえもそばに近づけなかったそうです。

かなり徹底していますが、これが、「信玄であったのでは?」という

噂の裏付けという説に繋がるのですが果たして。。。

そして出陣の前には毘沙門堂に寵って座禅をし、

出陣の際は「」の一字を旗印に掲げて出撃したそうです。

何事に対しても首尾一貫した、

謙信の一本気な人間性が伝わる名言です。

死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死すものなり。運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。

この言葉は、謙信の居城、春日山城の壁に

書かれていた言葉です。

「死ぬつもりで戦えば生き、生きようとして戦えば死んでしまう。
人生は自分で決めるものなのである」

という意味だそうです。

生きるか死ぬかの瀬戸際に立ったことのある人間でなければ

語れない深い言葉ですね。そして、この言葉から、

軍神と言われる謙信の強さが伝わってきますね。

大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死に顧みず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つこれこそ武士の本意である。

」の意味は「人が生きていく上での正しい行い

と言われていますが、上の言葉は、

謙信が武士の生き方を示した言葉で、

「武士たるものは生きている間は
義理を持って相手と接してくのが当たり前」

という意味だそうです。敵も味方でさえも欺くのは

日常茶飯事の戦国時代において、

このような言葉を言える戦国武将は

上杉謙信だけだったのではないでしょうか。

信玄の兵法にのちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。自分は国をとる考えはなく、のちの勝ちも考えない。さしあたっての一戦にかつことを心掛けている。

これは謙信が武田信玄の死に際して家臣に言った言葉です。

武田信玄が病死し、嫡男の勝頼が後を継いだとき、

勝頼はまだ幼かったので上杉の家臣たちは、

武田を今攻めれば、すぐに武田を滅ぼせます

と謙信に進言したそうです。それに対して謙信は、

「自分は領地拡大の意志はなく

目の前の一戦一戦に勝つことだけを考えていて、

その後のことも考えないようにしている」と返したそうです。

これは、かつて敵でありながらも良きライバルであった

武田信玄の死に際し、卑劣な戦いはしたくないという謙信の、

友情の表れではないでしょうか。

実際に武田信玄の死に際して謙信は、

その死を悲しみ、3日間音楽を禁止したそうです。


四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒

最後に、上杉謙信の辞世の句を紹介します。

謙信の晩年に読まれたこの2つの句が

辞世の句として語り継がれています。

戦国時代は漢詩を詠める武将はあまり多くなかったそうですが、

謙信は漢詩や和歌を詠み、源氏物語を好むなど、

なかなの文化人であったようです。

上の詩は、

「49年の自分の生涯は夢のように短かった 
栄華も一杯の酒ほどの価値しかない」

という意味で、戦に明け暮れた謙信の人生の儚さを、

一杯のお酒に例えています。謙信ほどに、

今という一瞬を一生懸命生きていれば、

人生はあっという間だったでしょう。けれどその分、

濃厚な人生でもあったのではないでしょうか。

以上、上杉謙信の名言の数々を、

彼の強さと優しさを兼ね備えた人柄や人生と絡めてご紹介しました。

改めて、戦いの神、毘沙門天の生まれ変わりとして、

更に「義」の人として、全くブレることない49年の人生を貫いた、

謙信の意志の強さを感じずにはいられませんね!

そして、この意志の強さこそが、

戦国最強の武将と言われる所以ではないでしょうか。

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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