独眼竜【伊達政宗】が使っていた家紋の仰天エピソード!!

伊達政宗 独眼竜 名言

 

戦国武将のヒーローの一人、

 

伊達政宗」はお洒落な甲冑や数々の大胆なエピソードから

 

派手好きで気性の激しい荒くれもののイメージがありますが、

 

一方で教養の高い人物だったことをご存知でしょうか?

 

政宗は幼い頃に天然痘で右目を失明しましたが、

 

彼の父の輝宗はそんな政宗の将来を危惧し、

 

政宗に様々な英才教育をしました。

 

その英才教育のお陰で、政宗は詩歌や書、能、茶道など、

 

多くの才能を開花させ、教養人、文化人として

 

晩年の人生を謳歌します。

 

更に、彼の教養の高さは数々の「名言」としても残されています。

 

そこで、私たちが抱いている荒くれもののイメージとは全く違う

 

政宗の、文化人としての姿を、名言やエピソードを交えご紹介します!

 

  • 秀才+英才教育で才能開花?!政宗の幼少時代とは?!
  • 実は凄い人!教養人、文化人としての政宗の驚愕エピソード!!
  • 政宗の教養の高さが垣間見える名言とは?!

 

 

秀才+英才教育で才能開花?!政宗の幼少時代とは?!

 

伊達政宗 独眼竜 名言

 

伊達政宗は現代の私たちが抱くイメージとはちょっと違う

 

教養人、文化人のエピソードが数々あるのですが、

 

そもそも政宗は、幼少期の頃から秀才だったようです。

 

例えば、彼が失明をする前のお話。

 

政宗が、ある日寺参りをした際に不動明王の前に立ち、

 

寺の僧に

 

「慈悲深い仏がなぜ、これほど恐ろしい顔をしているのですか?」

 

と質問をしたそうです。このとき僧は

 

「この顔は悪を懲らしめるためのもので、心の中は大変慈悲深いのですよ」

 

との説明をしたところ、それを聴いた政宗は、

 

人の上に立つものはこうでなければならない」と答えたとか・・・。

 

すごいですね。彼が右目を失ったのは5歳ですから、

 

それより前の5歳に満たない子供が

 

「人の上に立つものは・・・」なんて言う?!とツッコミを入れたくなりますが、

 

真偽のほどはさておき、そういうエピソードが生まれるほど

 

政宗は聡明な子供だった、ということではないでしょうか。

 

その他にも、政宗は眠る時に横たわらずに

 

柱に寄りかかって仮眠をしており、片時も時間を無駄にすることなく

 

常に手に書物をもっていた、というエピソードもあれば、

 

一度見た人の姓名や風貌は忘れることはないほど、

 

記憶力が良かったとも言われています。

 

そんな聡明だった政宗は、残念なことに5歳のときに

 

天然痘」にかかって右目を失います。

 

以後は片目のない容姿の醜さから、

 

母親の義姫に疎まれて愛情不足で育ちます。

 

そのため、内向的で人見知り、

 

コンプレックスの強い性格になっていきました。

 

伊達政宗 独眼竜 名言

 

そんな彼の様子を心配した父、輝宗は、

 

伊達家の世継ぎとして政宗を立派な人間に育てるために、

 

高僧、虎哉宗乙を師に迎えて政宗に英才教育をします。

 

この「虎哉宗乙」という僧侶は京の臨済宗妙心寺で修行を積んだ、

 

とても厳しい人だったそうです。

 

ですので虎哉宗乙は政宗にも大変厳しい教育をしました。

 

一方で中国の古典にも詳しく一流の文化人でもあったので、

 

厳しい教育と同時に様々な教養も与えたようです。

 

政宗は失明前の聡明なエピソードからも分かるように

 

もともと秀才でしたが、その才能は虎哉宗乙によって

 

より磨かれたと言ってよいでしょう。

 

そして、性格は徐々に明るくなり、後に教養人、

 

文化人としてのエピソードを多数残すことになります。

 

 

実は凄い人!教養人、文化人としての政宗の驚愕エピソード!!

 

伊達政宗 独眼竜 名言

 

政宗は詩歌や書、能、茶道など、多くの才能があったため

 

教養人、文化人としても知られていました。

 

彼は度々、文芸の場をもうけて文人を招いたそうです。

 

その実力も相当なものだったそうで、例えば和歌については、

 

後水尾天皇よりお褒めの言葉を頂いたこともあるほどの

 

才能の持ち主だったようです。また有名な話ですが、

 

晩年は料理にもはまり、徳川家三代将軍徳川家光をもてなす際に、

 

自ら包丁を握って豪華なおもてなし料理を作ったとか。

 

大名自らが台所に立って料理をするってすごい事ですよね。^^;

 

政宗のおもてなし料理を食した将軍家光は大いに喜んで、

 

その手腕を褒めたたえたそうです。

 

伊達政宗 独眼竜 名言

 

また仙台名物「ずんだ餠」も、

 

政宗が作った料理の一つと言われていています。

 

まさに驚きですよね!その他、能にも熱中しており、

 

秀吉の前で披露したこともあるなど、

 

本当に多才な人だったようです。

 

そして政宗の教養の高さを表す代表的なものとして、

 

漢詩」があります。政宗は漢詩をいくつか残していますが、

 

当時の戦国武将で漢詩を作る事が出来た人は珍しかったそうです。

 

日本の歴史において漢詩は最も格の高い文学だったそうですが、

 

戦国時代は学問よりもがものを言う時代でしたから、

 

漢詩を作れる武将は少なかったのは当然なのでしょう。

 

とはいえ戦国武将の中でも最も荒くれもののイメージが強い政宗が、

 

高い教養を持っていたというのは、冒頭にも書きましたが意外でもあり、

 

魅力でもありますよね。

 

では、そんな多彩な才能の持ち主が、どんな漢詩を残したのでしょうか??

 

政宗は沢山の名言を残していますが、

 

その中には漢詩もあるようですので、

 

政宗の漢詩を彼の名言とともにご紹介しましょう。

 

 

政宗の教養の高さが垣間見える名言とは?!

 

漢詩

 

伊達政宗 独眼竜 名言

 

有名な漢詩の名言をご紹介します。

 

馬上少年過(ばじょうしょうねんすぐ)
世平白髪多(よたいらかにしてはくはつおおし)
残?天所赦(ざんくてんゆるすところ)
不楽是如何(たのしまずこれいかんせん)

 

注)残躯とは戦国の世を生き延びて老後を迎えた我が身の事

 

上の漢詩の意味はこちらです。

 

戦場に馬を馳せた青春の日々は遠く過ぎ去った。
今や天下は泰平。俺の髪の毛はすっかり白くなった。
何の因果か、戦国の世を生き延びたこの身である。
老後くらい好きに楽しまないでどうするのだ。
天もきっとお許しになるだろう。

 

荒くれものだった戦国武将の政宗が、

 

晩年は別児のように教養人、文化人として

 

人生を謳歌した様子が目に浮かぶような詩ですね。

 

一方でこの詩は、天下取りの野望を持っていた政宗が、

 

天下を取れないうちに徳川の天下泰平の世となり、

 

自分の野望もなくなってしまったことへの

 

諦めの気持ちを表現している、とも言われています。

 

言われてみると確かに、晩年を謳歌しているだけではない、

 

どこか達観したような詩にも思えてきますね。

 

伊達政宗五常訓

 

伊達政宗 独眼竜 名言

 

次に政宗の名言で、儒教の中の人が守るべき五徳

 

仁・義・礼・智・信』という教えについて、

 

政宗が自身の経験を踏まえて解釈をした

 

伊達政宗五常訓』があります。

 

この解釈が政宗らしい独特の考え方で、

 

大変興味深い内容です。

 

まず、儒教の『仁・義・礼・智・信』を解説しましょう。

 

…思いやりや優しさ、人を慈しみ心。
…自分の利益にとらわれず、正しい行いをして筋を通す事。
…礼儀作法や相手に対する敬意。
…知識や経験で積み、正しい判断を下す事。洞察力。
…人を信頼し、誠実である事。

 

これにたいして、伊達政宗五常訓は次のように解釈しています。

 

「仁」過ぎれば 弱くなる
「義」過ぎれば 固くなる
「礼」過ぎれば 諂(へつら)いとなる
「智」過ぎれば 嘘をつく
「信」過ぎれば 損をする

 

この意味ですが、

 

仁愛ばかりを重んじれば自分が弱くなる。
義理に縛られれば動きも考えも固くなる。
礼儀も過ぎてしまえば相手にへつらっている様に見えてしまう。
知恵が増えれば嘘をつくようになる。
信じすぎれば損をする。

 

物事を一面だけでは見ない

 

政宗の洞察力の鋭さがうかがえる名言です。

 

同時に一筋縄ではいかない深い

 

思考の持ち主であったことも伝わってきますね。

 

辞世の句

 

伊達政宗 独眼竜 名言

 

最後に、政宗の辞世の句をご紹介しましょう。

 

曇りなき心の月をさき立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く

 

この意味ですが、

 

何も見えない真っ暗闇の中で、
月の光を頼りに道を進むように、
戦国の先の見えない時代の趨勢を
自分が信じた道を頼りにただひたすら歩いてきた一生であった

 

現代の私たちたちとはまるで違う大変な時代を生きた

 

政宗の辞世の句は、味わい深いですね。

 

戦国時代天下泰平の時代という対極的な2つの時代と、

 

荒くれものと文化人というこれまた対極的なキャラクターで

 

生きた政宗だからこそ、このような味わいのある句が読めるのでしょうね。

 

文化人としての伊達政宗の人生はいかがでしたでしょうか?

 

政宗が武力だけの人であったなら、

 

現代にまで語り継がれる偉人にはなっていなかったかもしれません。

 

武力だけでなく、深い教養と人として様々な魅力があったからこそ、

 

皆から愛される戦国武将となり得たのでしょうね。

 

そして、そういう政宗の人となりを知って味わう

 

彼の名言は、改めて味わい深いですね。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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