【大久保利通】 には二人の妻がいた?!その衝撃の女性像とは??

大久保利通 妻 嫁 愛人 満寿子 おゆう 一力亭 錦の御旗

 

明治維新の立役者にして

 

新政府の要となった「大久保利通」。

 

維新の三傑と呼ばれ、西郷隆盛、

 

木戸孝允(桂小五郎)と並び称される偉人の一人です。

 

実は、この大久保利通には二人の妻がいました。

 

一人は薩摩の正妻である「満寿子」さん、

 

一人は京の愛人である「おゆう」さん

 

いわゆる妾(めかけ)です。

 

愛人がいるとは、現代の政治家では

 

万一ばれたら、政治生命も終わり!

 

となるほどの大事件ですが、

 

この時代にはけっこう普通のことのようですね。

 

大名になると正妻に対して妾というのではなく

 

側室という言葉になり、これを大々的に正当化したのが「大奥」ですね。

 

将軍の大奥に対して、その他の大名は「奥向き」と呼んでいました。

 

当時は法律上も妾は第二夫人として

 

認められていて、子供も認知されていました。

 

つまり、江戸時代は実質的には一夫多妻制だったんです。

 

あの勝海舟には5人の妾がいたといわれています。

 

清廉潔白で知られた大久保利通ですら、

 

やはりというべきか・・妾は一人。

 

しかし単なる京の愛人ということではなく、

 

大久保利通を支えた見事な女性であったようですが、

 

果たして・・順に見て行きましょう!!

 

  • 薩摩の正妻 大久保満寿子の素性とは?!
  • 京の愛人 おゆうさんの素性とは?!
  • 大久保を支える おゆうさんの内助の功とは?!
  • 満寿子さんとおゆうさんの奇妙な関係とは?

 

 

薩摩の正妻 大久保満寿子の素性とは?!

 

大久保利通 妻 嫁 愛人 満寿子 おゆう 一力亭 錦の御旗

 

満寿子は薩摩藩士の早崎七郎右衛門の娘。

 

1857年に28歳で利通と結婚します。

 

満寿子は祖父から囲碁を教えられて、

 

本人も大の囲碁好きだったようです。

 

1990年の大河ドラマ「翔ぶが如く」ではミムラさんが演じて、

 

囲碁好きの島津久光に取り入ろうとする

 

大久保利通に囲碁を教えていました。

 

2018年の大河ドラマ「西郷どん」では

 

賀来千香子さんが演じていますね。

 

初登場の場面で囲碁を打っていましたね。

 

大久保利通はとにかく細かい人間で神経質なところがあったようで、

 

しかも胃腸が弱くて食べ物へのこだわりがすごく強い、

 

一言でいえば、かなり面倒くさい亭主であったようです。

 

ただ、結婚した1857年には大久保利通は島津斉彬のもとで

 

徒目付という役職につき江戸や京にでかけることが多くなっていたので、

 

満寿子さんは利通よりも残された父母や

 

家族の面倒をみる役割だったのかもしれません。

 

利通と満寿子さんの間には5人の子供がいます。

 

ちなみに次男の牧野伸顕の子孫が

 

政治家の「麻生太郎」です。

 

大久保利通 妻 嫁 愛人 満寿子 おゆう 一力亭 錦の御旗

 

道理で偉そうにしてるわけですね。^^;

 

明治なって東京で利通と暮らすようになりましたが、

 

1877年紀尾井坂の変で利通は暗殺され、

 

そのあとを追うように7ヵ月後には満寿子さんも亡くなっています。

 

 

京の愛人 おゆうさんの素性とは?!

 

大久保利通 妻 嫁 愛人 満寿子 おゆう 一力亭 錦の御旗

 

薩摩で利通を支えた満寿子さんに対して、

 

京で利通の支えとなったのが「おゆう」さんです。

 

おゆうは、祇園の老舗お茶屋一力亭」の娘です。

 

先に江戸時代の「お茶屋」について少し解説します。

 

江戸時代の「お茶屋」とはいわゆる大人の遊興場で

 

男女の出会いの場でもありました。

 

本来は武士は出入り禁止で、

 

裕福な商人や町衆が大人の遊びを楽しんでいました。

 

今で言うと、キャバクラと風俗が合わさったようなイメージでしょうか。

 

茶屋娘」はアイドル的な存在で、

 

その姿が描かれたのが浮世絵ですね。

 

一力亭」はお茶屋のなかでも非常に格式が高いお店で、

 

京に集まる有力者の密談の場を提供していました。

 

現代の料亭のような存在でしょうか。

 

大久保利通 妻 嫁 愛人 満寿子 おゆう 一力亭 錦の御旗

 

ちなみに「一力亭」は仮名手本忠臣蔵の舞台にもなっています。

 

おゆうはこの「一力亭」の娘でしたから、

 

裕福な生活で知識や教養を身につけ、

 

多くの志士や諸般の武士とも顔見知りとなっていたのでしょう。

 

大久保利通もまた一力亭で朝廷工作や勤皇の藩士などとの

 

密談を繰り返しているうちにおゆうと知り合いました。

 

ここで、大久保利通の隠された一面をひとつ!

 

 

必殺技! 大久保利通の”畳み回し”

 

1862年(文久2年)、薩摩と長州は同盟には程遠く、

 

むしろいがみ合っていた頃の話です。

 

実はこの頃から薩摩と長州の和解を考えていた大久保利通は、

 

「長州と一緒に酒盛いでんすれば、打ち解けられうかもしれん」

 

つまりは、酒を飲んで話せば仲良くなれるかも、と考えました。

 

大久保利通は長州の周布政之助と策を弄し

 

て薩摩・長州の酒宴を催します。

 

しかし、長州にはあの堅物来島又兵衛がいました。

 

又兵衛

 

「薩摩の芋どもが何かガタガタ言うたら切り捨てちゃる!」

 

といきまくと、何とか取り持とうとしていた周布

 

「もしも納得できにゃあなら、ここで腹を切ろう」

 

と切り出し、不穏な空気も最高潮!!^^;

 

ここで大久保利通が立ち上がり、

 

「おいの芸、薩州の畳み踊りば見てくやんせ」

 

と叫ぶや、畳をえい!とはがして、

 

指一本で頭の上でくるくる回し始めました。

 

長州勢はあっけに取られたようで、

 

この場の雰囲気は収まりましたが、

 

結局は和解とまではいかなかった様で、

 

大久保利通の異様な宴会芸だけが記録に残りました。

 

世に言う「幕末鴻門の会」です。

 

ただ、流石にこの大久保の畳み回し

 

歴代の大河ドラマでは出てきたことはありませんが、

 

是非、勇気ある俳優さんに再現して欲しい物です。w

 

 

大久保を支える おゆうさんの内助の功とは?!

 

大久保利通 妻 嫁 愛人 満寿子 おゆう 一力亭 錦の御旗

 

話を本筋に戻しますね。^^;

 

大久保が京に上ったのは文久4年、

 

風雲急を告げる情勢で緊迫した日々を送る

 

大久保利通にも心を許し安らげる場所が必要だったのでしょう。

 

おゆうさんはそんな大久保利通を献身的に支えたようです。

 

あの薩長同盟締結の場面でも、

 

もともと胃腸が弱かった大久保利通は腹を下して

 

その場には立ち会えず、おゆうさんが看病をしていたという話もあります。

 

こういうところこそ大久保利通が

 

今一つ人望が得られない理由なんでしょうね。

 

おなかが痛いくらいで大事な会議をスッポかすとは・・・

 

錦の御旗とおゆう

 

大久保利通 妻 嫁 愛人 満寿子 おゆう 一力亭 錦の御旗

 

錦の御旗」この言葉はご存知の方も多い事でしょう。

 

大政奉還で政権を返上した徳川家ですが、

 

新政府を正当なものとするためには、

 

是が非でも徳川家賊軍として討伐しなければならない

 

と考えた新政府側は「錦の御旗」という秘策を繰り出します。

 

菊のご紋を縫いこんだ錦の御旗は、

 

この旗に逆らうものは天皇の敵

 

つまりは賊軍であるとの印象を

 

世間に焼き付けるためのシンボルだったのです。

 

鳥羽伏見の戦いでは、この御旗を目にした旧幕府軍は

 

自らが朝敵(天皇の敵)となってしまうことを恐れて

 

一気に腰砕けになってしまいました。

 

錦の御旗に逆らう」というのは、現代でいえば、

 

警察や機動隊を相手に武器を持って戦うようなもの、

 

テロリスト扱いになるようなイメージなんですね。

 

しかし、この「錦の御旗」ですが、

 

実は岩倉具視と大久保利通が策を労した

 

ニセモノであったというのは有名な話です。

 

天皇の許しを得ずに、勝手に作って勝手に掲げたんですね。

 

ですが、これにより大勝利をおさめたのでお咎めなしです。

 

勝てば官軍

 

この言葉はこの逸話から生まれました。

 

しかし、そんな秘策でしたからおおっぴらに

 

御旗を製作することは出来ませんでした。

 

大久保利通は、御旗を作成するための生地を

 

おゆうに着物をプレゼントしたい」という名目で

 

お金を集めて、生地を手に入れたんですね。

 

おゆうの大久保利通への献身的な支えは

 

周囲でよく知られていたので、

 

このことには違和感を持つ人もなく協力をしたのでした。

 

そしてこの話が転じて、

 

おゆうが錦の御旗を縫った

 

という逸話になってしまいましたが、

 

これは、完全にフェイクニュースですね。

 

 

満寿子さんとおゆうさんの奇妙な関係とは?

 

大久保利通 妻 嫁 愛人 満寿子 おゆう 一力亭 錦の御旗

 

正妻の満寿子さんは愛人のおゆうさんの存在は知っていて、

 

実は大事に思っていたようです。

 

大久保家のために働いてくださった女性

 

として認めていたようですね。

 

おゆうさんは、京に滞在中の利通の世話を完璧にこなして、

 

訪問してきた人々にも心のこもった応対をしました。

 

満寿子さんから利通への手紙にも、

 

しばしば「おゆうさんによろしく」と書き添えられているほどでした。

 

大久保利通の気難しい印象も、

 

おゆうさんの応対で随分やわらげられていたのでしょう。

 

才女にして身持ちが硬く献身的に支えた

 

京の愛人、おゆうさんの存在なくしては、

 

大久保利通の出世もこれ程ではなかったのかもしれません。

 

ちなみに、大河ドラマ「西郷どん」では、

 

おゆうさんを内田有紀さんが演じ、

 

西郷隆盛の弟の信吾(従道)が惚れて

 

言い寄るシーンがありますが、

 

これもフェイクで脚色されたお話しです。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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