【織田信長】が政略結婚していた!?妻【濃姫】の人物像とは?!

織田信長 濃姫 帰蝶 斎藤道三 小見の方

 

織田信長の正室として、

 

その名前は現在でも知られているのが

 

濃姫」ですね。

 

本名は「帰蝶」と呼ぶそうですが、

 

有名の割にどういった人物なのか

 

ほとんど文献が残されていません。

 

晩年はどう過ごしたのか、に包まれている濃姫ですが、

 

どんな人生を過ごしてきたのでしょうか?

 

ここでは、織田信長の妻

 

濃姫」はどんな人物なのか?

 

についてご紹介してきます。

 

 

織田信長の妻「濃姫」はどんな性格?

 

織田信長 濃姫 帰蝶 斎藤道三 小見の方

 

濃姫は1535年に斎藤道三を父、

 

小見の方を母の娘として誕生しました。

 

産まれてから、どういった生活を送っていたのかについては、

 

文献に詳しく書かれておらず全くの不明。

 

どういった経緯があったのかすら、

 

まったく分かっていませんが1548年に

 

織田信長の正室になります。

 

織田信長には多くの側室がいたことが分かっており、

 

その中でも正室(本妻)になれるのだから、

 

相当強い性格をしていることが伺えますね。

 

精神力の強さを物語るエピソードが、

 

嫁ぐときの親子の会話に含まれているので紹介します。

 

濃姫が織田信長のところへ嫁ぐ前、

 

斎藤道三は娘に刀を渡してこう言います。

 

「もし織田信長が噂通りの、うつけ者であったなら、

 

この懐刀を使って刺しても構わない」

 

こう言われた濃姫は、

 

分かった。でもこの刀が、あなたの血で染まるかもしれないわ

 

と答えたそうです。

 

濃姫が13〜14歳の頃に、

 

織田信長の正室になったと言われていますので、

 

その当時に交わされた親子の会話から、

 

かなり気が強い性格だと分かるのではないでしょうか?

 

若い頃の織田信長は、庶民と一緒になって遊ぶなど

 

周囲を困らせる行動ばかりするので、

 

尾張の大うつけ(ばかもの)」と呼ばれていました。

 

斎藤道三は父親として、

 

娘の嫁ぎ相手について心配していたんですね。

 

 

どうして織田信長の正室になれたのか?挙げられる3つの説

 

織田信長 濃姫 帰蝶 斎藤道三 小見の方

 

先ほども記述した通り、

 

織田信長には多くの側室を抱えていました。

 

その中で正室になるのは、

 

よっぽど両親が権力者でなければ難しいとされており、

 

濃姫の両親にそこまでの力があったのかは

 

不明な部分が多いです。

 

そして濃姫がなんで正室として迎えられたのか、

 

詳しいことは何も分かっていませんので、

 

ここでは3つの説を紹介しますね。

 

1:政略結婚していた

 

織田信長 濃姫 帰蝶 斎藤道三 小見の方

 

一般的に広く浸透しているのが、

 

政略結婚」により織田信長の正室になったという説ですね。

 

実は斎藤道三は美濃の近くである尾張を狙っており、

 

織田信長がどんな人物で何を企んでいるのかを知るため、

 

娘の濃姫を織田信長の正室に出したとされています。

 

一方、織田信長も「美濃のマムシ」と呼ばれていた

 

斎藤道三の実力を認めており、

 

その力を上手く利用したいと考えていました。

 

これにより、両者は得をするという考えが優先したので、

 

正室」として迎え入れたのです。

 

政略結婚であったとしても、濃姫の責任は重大そのもの。

 

武将の正室、とりわけ天才と言われていた

 

織田信長ということもあり、

 

側室からの圧力や周囲からの目も厳しいものでした。

 

それでも自身の立場をしっかりとわきまえており、

 

織田信長を支持していました。

 

その姿に感心を示した信長も、

 

濃姫が正室でいることを誇りにすら思っていたようです。

 

 

2:斎藤道三が名誉のために頭を下げた

 

織田信長 濃姫 帰蝶 斎藤道三 小見の方

 

下剋上を果たすほど、執念深い斎藤道三は

 

尾張の国に天下統一を目指している

 

武将がいることを知っていました。

 

その実力を間近で見たこともある斎藤道三は、

 

大変に感銘を受け

 

美濃の領土をくれてやる!

 

という手紙まで出したと言われています。

 

下剋上を果たすほどの実力者である斎藤道三は、

 

名誉欲が非常に深い人物だったと伝わっており、

 

それは生涯に渡って持っていたようです。

 

今後の戦国時代を築いていくであろうと感じたので、

 

娘を織田信長の正室に迎え入れられるとすれば、

 

それは大変名誉なこと。

 

正室にしてほしいと考えている人は他にも多くいたので、

 

直接織田信長のところまで出向いて、頭を下げたようです。

 

執念深い性格そのままだと感じた織田信長は、

 

その願いを了承し濃姫を正室にしたのでした。

 

 

3:濃姫が一目ぼれした

 

織田信長 濃姫 帰蝶 斎藤道三 小見の方

 

これは文献などには記載されておらず、

 

現代のドラマや小説などにおいて

 

登場した説なので創作の可能性が高いです。

 

斎藤道三と一緒に尾張の国にきた濃姫は、

 

父と一緒に織田信長に会いに行きます。

 

尾張のうつけ者として知られた織田信長は、

 

武将としての気難しさはなく、

 

濃姫とも気軽に接したようです。

 

そのギャップに衝撃を受けた濃姫はすぐに一目ぼれし、

 

想いを伝えたのだとか。

 

 

斎藤道三の死後、織田信長はどう過ごしたのか?

 

織田信長 濃姫 帰蝶 斎藤道三 小見の方

 

どういった流れで織田信長の正室になったのかは

 

定かではありませんが、

 

もし政略結婚が関係しているのだとすれば、

 

疑問になるのが斎藤道三の死後

 

どう過ごしていたのかという点ですよね。

 

政略結婚において、

 

斎藤道三の後ろ盾という益を考えていた信長であれば、

 

道三が死んだ今濃姫が正室である理由はなくなります。

 

そのため信長はすぐに濃姫を殺したという説もあれば、

 

美濃に送り返したという説もあり、

 

さらにはそのまま正室として過ごした

 

という説など、色々とあります。

 

道三が死亡した後、

 

本当に濃姫の価値が無くなってしまったのかは、

 

疑問に残るところでもありますから、

 

今のところ正室として過ごしたという説が濃厚のようです。

 

織田信長は短気な一面がありますが、

 

身内に対しては優しい部分もあったので、

 

斎藤道三が死んだからといって

 

濃姫を殺害するとは考えにくいと言われています。

 

 

織田信長亡き後、濃姫の晩年は?

 

織田信長 濃姫 帰蝶 斎藤道三 小見の方

 

織田信長が本能寺の変によって自害した後、

 

濃姫はどのようになったのでしょうか?

 

信長の正室だったのに、どのような人物でどんな晩年を迎えたのか

 

資料が非常に乏しく、現在でも何も分かっていません。

 

しかし、資料に乏しいというのは「濃姫」という名前に

 

こだわりすぎているからではないか、という考え方もあります。

 

というのも現代とは違い、住んでいる場所などによって

 

名前を頻繁に変えるのが自然だった戦国時代ですから、

 

濃姫も名前を変えた可能性があるのです。

 

記録の中には、「安土殿」という人物が記されており、

 

これが濃姫なのではないかと言われるようになってきています。

 

安土というのは、織田信長が居城していた場所であり、

 

その名前を名乗れるのは信長の正室ぐらいなもの。

 

この安土殿は、1612年に亡くなったと記録されていますので、

 

もしかしたら濃姫は正室の座を追われることもなく、

 

平和に暮らしていたのではないかと考えられています。

 

 

いかがでしたか?

 

織田信長の正室として存在感を発揮していた濃姫ですが、

 

その正体や晩年などは資料に乏しく何も分かっていないのが現状です。

 

それでも様々な説があるので、

 

そこを紹介しつつ濃姫と織田信長の関わりについて見ていきました。

 

現在でもほんどは憶測に過ぎないというのが、

 

多くの人が関心を示す理由なのかもしれませんね。

 

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引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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