【西郷隆盛】 はモテモテ? 3人の妻の秘密に迫る!!

西郷隆盛 妻 嫁 須賀 愛加那 糸

 

明治維新の立役者にして幕末の英雄である「西郷隆盛」。

 

この名前を知らない日本人はいないと言ってもいいでしょう。

 

倒幕を成し遂げ明治新政府樹立の道を開いたこの人物は、

 

人並みはずれて器の大きい男であったのは間違いありません

 

それでは、その大きな器を支えた「」の存在はご存知でしょうか?

 

いったい西郷隆盛の奥さんとはどんな女性だったのでしょうか。

 

NHKの大河ドラマなどでもたびたび登場する西郷隆盛です。

 

歴史が好きな方は、結婚と離婚を繰り返して

 

3人の奥様がいたことはご存知のことと思います。

 

この3人の奥様とはどんな馴れ初めで、どうして結婚したのか。

 

そして、どうして離婚したのか。

 

最初の奥様から順を追って、詳しく解説します。

 

  • 須賀】さん スピード離婚! 最初の奥様 
  • 愛加那(とぅま)】さん 悲運の出会い! 第2の奥様 
  • 】さん 最期まで西郷を支え続けた女性! 第3の奥様

 

 

【須賀】さん スピード離婚! 最初の奥様 

 

西郷隆盛 妻 嫁 須賀 愛加那 糸

 

最初の奥様の名前は「須賀(すが)」さんと言います。

 

薩摩藩の下士・伊集院兼善の娘さんで、

 

隆盛24歳、須賀21歳の時に結婚しています。

 

須賀さんとの馴れ初めは?

 

評判の美人だった須賀に隆盛が一目惚れをして

 

身分の上下を超えて結婚したという説が一般的です。

 

一目惚れということは、それなりに二人の間に

 

接点があったということになりますが、

 

しかし、当時の薩摩藩を考えると、

 

この説には少し無理があります。

 

郷中」の掟には何があっても女性とは関わるなとあり、

 

若い男女が恋愛的に出会うというのは考えにくい状況でした。

 

妻のほうが格上の家で、当時の女性としては

 

20歳で結婚はかなり遅いほうになります。

 

何か「訳あり」という感じもしますね。

 

そこで、まったく違うこんな説もあります。

 

須賀さんは言葉を選ばずにいうと容姿に問題があった女性でした。

 

天然痘をわずらって顔にあばたが多く残っていたということです。

 

なかなか嫁ぎ先の見つからない娘を見かねて、

 

須賀さんの父親である伊集院兼善が見所があると

 

気に入っていた西郷隆盛の元に嫁がせた。

 

というのもです。

 

実は、NHK大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)の

 

原作はこの内容になっています。

 

テレビでは違っていましたね。

 

 

離婚の真相とは?!

 

西郷隆盛 妻 嫁 須賀 愛加那 糸

 

隆盛と須賀の結婚生活は2年ほどしか続きませんでした。

 

1852年に結婚して1854年に離婚しています。

 

このタイミングが二人の結婚生活には最悪でした。

 

結婚した翌年1853年にはペリー黒船で来航しています。

 

そして時を同じくして西郷隆盛は藩主島津斉彬から

 

側近である庭方役に抜擢され江戸に赴くことになります。

 

現代で言えば、妻を実家に残して単身赴任です。

 

当時の西郷家は祖父母に隆盛の兄弟5人の大家族で、

 

下級武士ゆえの貧困

 

しかも、西郷家には多額の借金も会ったようで

 

残された須賀さんは大変苦労をしたそうです。

 

そして、見かねた伊集院家から江戸の西郷隆盛に

 

書状を贈り離婚を申し出たそうです。

 

この離婚に関しては、隆盛も須賀さんが苦労をして

 

大変だったこともわかっていたので、

 

こちらこそ申し訳なかった」と、言葉を贈っているようです。

 

この後、西郷は二人の女性と結婚するのですが、

 

須賀さんのことは終生気にかけていて、

 

この離婚をかなり後悔していたと伝えられています。

 

 

【愛加那(とぅま)】さん 悲運の出会い! 第2の奥様

 

西郷隆盛 妻 嫁 須賀 愛加那 糸

 

二番目の奥様は、「愛加那(とぅま)」さんといいます。

 

1853年に結婚、隆盛31歳、愛加那25歳でした。

 

愛加那さんとの馴れ初めは?

 

出会いと結婚の舞台は奄美大島です。

 

安政の大獄」があり、島津斉彬の突然の死があり、

 

西郷隆盛は先行きを悲観して「月照」という僧侶と

 

入水事件自殺未遂)を起こします。

 

時の大老井伊直弼から疎まれていた上に

 

不祥事を起こした隆盛を、流罪という形で

 

藩から遠ざける目的もあり、西郷隆盛を島流しにしました。

 

流された隆盛は島の暮らしになじめず、

 

木刀を振り回し荒れた生活をしていて

 

大和のフリムン(狂人)

 

と島内では呼ばれるようになりました。

 

そんな隆盛を疎まずに身の回りの世話をしたのが

 

愛加那さんでやがて結婚にいたります。

 

島妻(あんご)のさだめとは??

 

当時の薩摩には、島流しになっている間だけ

 

現地で妻を娶ることが出来る特殊な定めがありました。

 

「島妻」(あんご)といいます。

 

島妻」の定め事は、ざっと以下のとおりです。

 

  • 島妻を薩摩に連れて帰ることはできない
  • 島妻との間に生まれた子は、薩摩に連れて行くことができる
  • 島妻との間に生まれた子が男子の場合、武士(郷士)にすることができる
  • 扶持米をもらうことができる

 

流されてくる罪人にとっては都合のいい制度のように思えますね。

 

しかし当時の奄美大島は、

 

じつは琉球王国から薩摩藩にのっとられ、

 

島の主な産業である「黒糖」の収入も搾取されて

 

非常に貧しい島となっていました。

 

家も田畑もなくなった奴隷のような身分を

 

「家人」(やんちゅ)と呼び、島内の4割

 

この家人に身を落としていたといわれています。

 

島妻制度で結婚することは、

 

島の人間にとっても都合の良いことだったようです。

 

こんな状況ですから、隆盛と愛加那の間に

 

よくドラマで描かれるようなロマンスがあったとは到底思えません。

 

残念ながら、隆盛も都合のいい「島妻」として

 

愛加那さんと結婚したというのが実態でしょう。

 

 

離婚の真相とは?!

 

西郷隆盛 妻 嫁 須賀 愛加那 糸

 

そして、結婚生活3年、西郷隆盛は薩摩に戻る日を迎えます。

 

島妻なので、当然一緒に薩摩に戻ることは出来ません。

 

ここで隆盛と愛加那は今生の別れとなります。

 

真相もなにも、島妻制度に沿った別れですね。

 

しかしなんと、西郷隆盛は薩摩に戻ってわずか4ヵ月後

 

今度は沖永良部島に流罪になります。

 

流される途中で奄美大島に立ち寄り、

 

4日間だけ愛加那さんと子供二人と再会して過ごしたそうです。

 

出会いはともかく、島の結婚生活の間に隆盛は

 

愛加那さんを本当に愛おしく思うようになっていたんですね。

 

【糸】さん 最期まで西郷を支え続けた女性! 第3の奥様

 

西郷隆盛 妻 嫁 須賀 愛加那 糸

 

三度目の結婚、最期の奥様の名は「」さんです。

 

1865年に結婚、隆盛37歳、21歳でした。

 

結婚した翌年には薩長同盟が結ばれ、

 

その翌年には大政奉還です。

 

西郷が東奔西走、一番忙しい時の再婚でした。

 

歳の差は16歳。

 

NHK大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)を

 

ご覧になっている方は気づきましたか?

 

ドラマの中では、さんと吉之助(隆盛)が初回の放送で

 

幼馴染のように描かれていますが、これは完全なフィクションです。

 

しかし、大河ドラマの中にも糸さんのことを知る手がかりがありました。

 

演じている女優さんです。

 

西郷どん」 ・・・黒木華
翔ぶが如く」・・・田中裕子

 

いかがでしょうか、タイプが似ていませんか?

 

見た目は細身で華奢な感じですが、

 

芯はしっかりした、意外と気の強い女性。

 

こんな女性像が浮かび上がってきますね。

 

きっと、さんご本人もこんな女性だったのでしょう。

 

隆盛の弟西郷従道は、実は糸さんに思いをよせていた。

 

という噂話もあるようです。

 

 

糸さんとの馴れ初めとは??

 

西郷隆盛 妻 嫁 須賀 愛加那 糸

 

維新前夜で日本中を駆け巡っていた時ですから、

 

西郷隆盛は最初はこの結婚には乗り気ではなかったといいます。

 

最初の結婚の須賀さんに悲しい思いをさせたことから、

 

にも同じような思いをさせることを恐れたのでしょう。

 

しかしある日、薩摩藩士「有川矢九郎」が

 

妻の従姉妹ということで、糸さんを西郷家につれてきて、

 

そのまま「よかよか」といって、置いていってしまいます。

 

ちなみに、この有川矢九郎という人物、

 

西南戦争では参謀を務めた西郷隆盛の盟友といえる男でした。

 

隆盛と糸 実は理想の夫婦!?

 

結婚した時、西郷家は借金返済のため、

 

実家を売り払い、狭い借家住まいになっていました。

 

狭い借家に家族と使用人で10人以上が同居、

 

しかも隆盛はほとんど不在です。

 

苦労はいかほどだったでしょうか。

 

しかし、西郷隆盛はこの時すでに全国に名の知れた名士です。

 

活躍と収入のバランスは取れていなかったようですね。

 

坂本竜馬が西郷家に滞在した時の逸話を二つご披露しましょう。

 

「雨漏りのする家にお泊めして恥ずかしい。」

 

滞在した坂本龍馬に対してさんはそう思ったそうです。

 

その時西郷隆盛は、

 

「今は日本中がこんな状態だ。我が家だけ直すことはできない。」

 

とたしなめたそうです。

 

また、龍馬から「一番古い袴でよいから分けて欲しい」と

 

頼まれた際に、その言葉通りお古の袴を譲ったのですが、

 

その時には隆盛に、

 

「龍馬さんは日本を救うお方だ、こんな粗末な袴を渡すとは何事か!」

 

と、後にも先にもただ1回、糸さんは隆盛に叱られたそうです。

 

後に坂本龍馬は乙女姉さんに手紙でこうしたためています。

 

「西郷家は吉之助も家内もおおいに良き人です。
この人に妻のことを頼めば何も心配はない。」

 

自分の身に何かあった時には、

 

妻のお龍を西郷家に預けて欲しいとたのんでいるんですね。

 

 

上野公園の銅像は、あん人(隆盛)じゃなか!

 

西郷隆盛 妻 嫁 須賀 愛加那 糸

 

晩年、あの有名な上野公園の西郷隆盛銅像の除幕式に

 

糸さんは出席しています。

 

始めてあの銅像をみた糸さんは、

 

こんは、あん人じゃなか。」 と、言ったそうです。

 

われるようになりましたが、実は糸さんは顔ではなく、

 

粗末な浴衣姿を嘆いたそうです。

 

西郷隆盛は、どんな時でもあんなみすぼらしい姿で

 

人前に出たりはしない。という事ですね。

 

最後の最後まで、糸さんの隆盛に対する想いが伝わってきますよね。

 

 

三人の奥様にはそれぞれの人生がありました。

 

しかし西郷隆盛という男は、一貫して、

 

気丈な女性が好きだったようですね。

 

須賀さんとの間にはお子様はいませんでしたが、

 

愛加那さん、糸さんのお子様、

 

そしてご子孫は健在で、今でも活躍されています。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

関連ページ

【西郷隆盛】の兄弟の活躍も凄かった?!
幕末維新の立役者西郷隆盛。 その功績はあまりにも有名ですが、隆盛のプライベートに関してはそれほど知られていません。 NHK大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)などでも描かれていますが、やはりドラマですね。 ある程度の脚色とフィクションが織り交ざっているのは否めません・・・
【西郷隆盛】の真実! プライベートも波乱万丈、そしてその子供は?
西郷隆盛、歴史にそれほど詳しくない人でも「この名前を一度も聞いたことがない。」という日本人はおそらくいないのではないでしょうか。 明治維新の立役者であり、現代日本の礎を築いた英雄に間違いありません。 しかし、歴史家の間では「西郷隆盛の評価は難しい。」とも言われます。 それもそのはず、倒幕をなし明治維新を成し遂げながら、後には日本最後の内戦といわる「西南戦争」の首謀者として自殺を遂げてしまいます。
【西郷隆盛】の愛犬の名前が判明!犬を飼っている理由がヤバかった…
明治維新に大きく関与した政治家で、武士でもあり軍人でもあるのが「西郷隆盛」ですね。歴史の教科書に必ず登場するほど有名人で、ドラマや映画の題材になるほどですから、知らない人も少な・・・
【西郷隆盛】 名言から暴く人物像とは?!
「敬天愛人」(けいてんあいじん)という言葉を耳にしたことがありますか?西郷隆盛が好んで使った言葉です。座右の銘であったとも言えますね。 「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は「敬天愛人」を目的とし、身を修(しゅう)するに 克己(こっき)を以て終始せよ。」 維新後、下野して不平士族のために開いた学校、私学校でもこのようのに説いています。
【西郷隆盛】の戦争!壮絶なる最後とは?!
明治維新の立役者西郷隆盛はなぜ、せっかく築き上げた新政府と戦うことになったのか? そして、なぜ壮絶な最後を遂げなければならなかったのか? 日本の英雄にして逆賊、西郷隆盛の壮絶な最後とその背景について考えて見て行きましょう!!
徹底追跡!! 【西郷隆盛】の子孫たちのその後とは?!
維新の立役者である西郷隆盛には、3人の妻と5人の子供がいました。 西南戦争で命を落とし、一時は逆賊の汚名をきた西郷隆盛ですが、現在では鹿児島の英雄で、その子孫も元気に活躍しています。 いったい、西郷隆盛の子孫は、今どうしているのか?気になるところですよね・・・