【西郷隆盛】 名言から暴く人物像とは?!

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

敬天愛人」(けいてんあいじん)

 

という言葉を耳にしたことがあるでしょうか?

 

西郷隆盛が好んで使った言葉なんですが、

 

座右の銘であったとも言えますよね。

 

「道は天地自然の道なるゆえ、
講学の道は「敬天愛人」を目的とし、
身を修(しゅう)するに 克己(こっき)を以て終始せよ。」

 

維新後、下野して不平士族のために開いた学校、

 

私学校でもこのようのに説いています。

 

天に与えられた命を大切に、天を敬い、
同じように人々を愛しなさい。
そして、常に己に克つ事をかんがえなさい。

 

という意味です。

 

この言葉を知ると、日本最後の内戦である、

 

西南戦争は、決して西郷隆盛の本意ではなかった

 

と感じることが出来ます。

 

この言葉に心酔した人物は数多く、

 

鹿児島出身の大実業家稲盛和夫氏は、

 

創業した会社京セラの社是としています。

 

西郷が残した名言は、

 

南州翁遺訓」という形でまとめられています。

 

そのいくつかをご紹介しましょう。

 

 

彼ら貧民の子弟こそ、真の国家の柱石である

 

夫人であるさんが良い田畑があるから買わないか?

 

と勧められ、相談した時の隆盛の言葉です。

 

道端であくせくと働く貧しい人々こそ真の国の柱石であり、

 

我々が日々生活できているのは貧しい彼らのおかげである。

 

という意味で、

 

「自分たちが国事に奔走し、暮らしていけるのは
貧しい民が一生懸命働いて治めた
税のおかでであることを忘れてはいけない。

 

自分たちの子供の中に愚かなものや不自由なものがいたら
田畑を買って残さなければならないが、
幸い元気な子供たちなのだから財産などに頼る必要はない。」

 

と奥様を諭したそうです。

 

何とも男気溢れる言葉ですよね!!^^

 

下民其の勤労を気の毒に思うようならでは、政令は行なはれ難し

 

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

明治政府の堕落を嘆いた言葉です。

 

「人の上に立つ者は、
国民の勤労をご苦労と思わなければ、
良い政治は行なわれない。」

 

という意味で、維新の不安定な時期に奢り高ぶって、

 

豪華な生活をすることはとんでもないことだ、

 

新政府の要人を非難したんですね。

 

この言葉に、西郷隆盛が下野した

 

本当の気持ちがこめられています。

 

また、同様に

 

「官吏たるのも職務に勤労し人民の標準たれ」

 

とも述べていて、政府の役人はそもそも

 

国民の手本とならなければならないとも述べています。

 

南州翁遺訓」の中にも残されていますが、

 

現代の政治家にもぜひ毎日暗唱でもしてほしい限りですね。^^;

 

 

命もいらず、名もいらず

 

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

命もいらず、名もいらず、
官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは艱難(かんなん)を共にして
国家の大業は成し得られぬなり。

 

これは、山岡鉄舟を評した言葉として知られています。

 

山岡鉄舟は江戸無血開城の真の立役者といわれ、

 

江戸に進軍する新政府軍に対して、

 

駿府城(いまの静岡)で西郷隆盛に会見し、

 

徳川慶喜に内戦を起こす意図がないことを懸命に諭し、

 

「維新の実をあげるためには、将軍を武力で倒す」

 

という西郷隆盛の決意を翻意させたといわれています。

 

勝海舟と談判する際には、

 

すでに山岡鉄舟の説得により

 

西郷隆盛の気持ちは固まっていたようですね。

 

この山岡鉄舟を

 

「命も名誉も金もいらないと言う人物はなんとも厄介だ。
そんな人物の言葉が大業を成すのだろう」

 

と評したんですね。

 

 

西郷隆盛は他人から実際どう思われていた??

 

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

ここまで西郷隆盛の名言をいくつかご紹介しましたが、

 

本にもまとめられているし、様々な形で紹介されています。

 

そこで少し角度を変えて、

 

西郷隆盛は周囲からどう思われていたのか?

 

その実態を表した周囲の人々の名言(迷言?)をご紹介します。

 

島津斉彬はこう言った!

 

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

「身分は低く、才智は私のほうが遥かに上である。
しかし、天性の大仁者(だいじんしゃ)である」

 

島津斉彬」は、西郷隆盛という人物を最初に見抜き、

 

歴史の舞台に引きずり出した薩摩藩主です。

 

身分も頭の良さも私のほうが上だが、

 

西郷は天性の大器で徳のある人物として抜きん出ている。

 

そう見抜いて下級武士から大抜擢した

 

島津斉彬も只者ではありませんよね。

 

坂本龍馬はこう言った!

 

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

「われ、はじめて西郷を見る。 
その人物、茫漠としてとらえどころなし。 
大鐘のごとし。 
小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る。」

 

西郷隆盛に始めてあったときの印象を

 

勝海舟に話した時の言葉です。

 

「小さく叩けば小さくなり、大きく叩けば大きく鳴る。」

 

西郷隆盛の大器を見事に表現した名言ですね。

 

しかし、逆に解釈すれば、

 

「西郷隆盛の大器も誰かが叩かなければ鳴ることはない。」

 

とも聞こえます。

 

坂本龍馬はこの後、薩摩に船を買わせて

 

亀山社中を設立し、西郷隆盛を担ぎ出して

 

薩長同盟をなし、倒幕につなげていきます。

 

まさに、坂本竜馬が西郷隆盛という大鐘を

 

思い切り大きく叩いたのでしょう。

 

 

勝海舟はこう言った!

 

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

「識見、議論では西郷に負けぬが、
天下の大事を決する人物はかの西郷である。」

 

島津斉彬の言葉に似ているところがありますね。

 

「知識や雄弁では負けないが、
天下を動かす大物は私ではなく、
西郷隆盛を除いて他にはいない。」

 

という意味です。

 

NHK大河ドラマ「西郷どん」でも

 

この西郷隆盛と勝海舟の出会いのシーンが描かれています。

 

雄弁に語った勝海舟に対して、

 

西郷は一言「よくわかりもした。」といって去っていきます。

 

実は、この一言が西郷隆盛が

 

倒幕を決意した瞬間だったんですね。

 

ドラマの中で勝海舟は「ちとしゃべり過ぎた」と

 

想像以上の西郷隆盛の器に感嘆しています。

 

木戸孝允(桂小五郎)はこう言った!

 

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

「忠実、寡欲、果断な男ではあるが、
大局を見られないのが欠点だ」

 

長州藩の「桂小五郎(木戸孝允)」と西郷隆盛は、

 

坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結んでいます。

 

禁門の変などでは薩摩と長州は激しく対立し、

 

長州では薩摩のことを

 

薩賊」(さつぞく)や「薩奸」(さつかん)などと呼び、

 

憎悪に近い感情を抱いていたのですが、

 

倒幕という大きな目標のために手を結びます。

 

しかし明治新政府になってもやはり、

 

両者のわだかまりは抜けていなかったようです。

 

そういう時勢での木戸孝允の西郷隆盛の評価ですね。

 

「人物や能力は評価するが、
大局をつかめないのが欠点だ。」

 

という意味で、木戸だけは

 

西郷隆盛の大器を否定していたようです。

 

この対立が西郷の下野、

 

そして西南戦争へとつながっていく引き金となります。

 

 

板垣退助はこう言った!

 

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

「維新の三傑と並べていうが、
木戸や大久保とはまるで算盤のケタが違う」

 

いかがでしょうか??

 

木戸孝允の言葉と並べて見ると大変面白いですよね。

 

板垣退助」と西郷隆盛は、

 

同じく坂本龍馬の仲介で出会い、薩土盟約を締結しています。

 

その後、板垣退助は西郷隆盛という人物に惚れ込んだようで、

 

大久保利通や木戸孝允などとは、

 

同じ維新の立役者でもが違う、

 

と最大限のほめ言葉を贈っています。

 

板垣退助は、西郷隆盛が下野した

 

明治六年の政変の際には行動を同じくして、

 

政府の役職を辞任しています。

 

その後、西南戦争には参加しませんでしたが、

 

自由民権運動」を起こし、

 

既存の政府とは対立する道を歩むことになります。

 

山形有朋はこう言った!

 

西郷隆盛 名言 敬天愛人 南州翁遺訓 山岡鉄舟

 

「気宇闊達、千万人の大軍を統率して
能く平然たるべき天成の大英雄」

 

何千万人の大軍も平然と指揮できる大英雄だ、

 

とべた褒めです。

 

しかし、実はこの山形有朋は西郷隆盛から絶縁されているんですね。

 

その理由は財界との癒着です。

 

西郷隆盛の最も嫌った堕落した役人と映ったのでしょう。

 

山形有朋は長州藩の出身ですが、

 

木戸孝允とは方向性が会わず、

 

また、自分自身には人徳が欠けている事を自覚していて、

 

最期まで西郷隆盛を中心とした

 

理想の政府を夢に描いていたようです。

 

大器の西郷隆盛の下に俗人の山形有朋、

 

実現したら面白い政府になっていたのかも知れません。

 

ちなみに、山形有朋は第三代総理大臣です。

 

この人は、清濁あわせ呑む政治家だったようですね。

 

いかがでしょうか。

 

西郷隆盛という人物を、

 

自らの名言と周囲の名言から掘り下げてみましたが、

 

天性の大器であったことは間違いないようです。

 

しかし、人間臭くて、短気なところもあったようで、

 

木戸孝允や岩倉具視らとの不仲や確執も見て取れます。

 

親友の大久保利通が、気に食わない木戸や岩倉側に着いたのも

 

西郷隆盛が明治政府から下野する一因だったのでしょう。

 

このような人間味が、西郷隆盛の最大の魅力といえるのではないでしょうか。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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