【西郷隆盛】の兄弟の活躍も凄かった?!

西郷隆盛 弟 7人兄弟 小西郷 K10カフェ 西郷従道 吉二郎 西郷吉二郎 三女 安 次女 鷹 長女 琴

 

幕末維新の立役者といえば「西郷隆盛」ですよね。

 

その功績はあまりにも有名ですが、

 

隆盛のプライベートに関してはそれほど知られていません。

 

NHK大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)

 

などでも描かれていますが、やはりドラマですね。

 

ある程度の脚色とフィクションが

 

織り交ざっているのは否めません。

 

そんな西郷隆盛の兄弟はどんな人物だったのか??

 

調べて見ると隆盛の兄弟もなかなかすごい!

 

ことが分かってきました。

 

それぞれが歴史の中で役割を果たしており、

 

今回はそんな西郷さんの兄妹の活躍を見て行きましょう!

 

  • 西郷隆盛は7人兄弟だった!!
  • しっかりもの?! 3姉妹
  • 歩んだ道は正反対! 二人の弟
  • 実は大物?!小西郷と呼ばれた男!西郷従道

 

 

西郷隆盛は7人兄弟だった!!

 

西郷隆盛 弟 7人兄弟 小西郷 K10カフェ 西郷従道 吉二郎 西郷吉二郎 三女 安 次女 鷹 長女 琴

 

西郷隆盛7人兄弟の長男です。

 

7人兄弟と聞くと現代では多いなあと思いがちですが、

 

当時は普通でした。

 

10代での結婚も普通でしたし、

 

家族の働き手を増やすために

 

せっせと子づくりをする時代だったんですね。

 

順場に並べると

 

  • 長男  吉之助(隆盛)
  • 長女  琴
  • 次男  吉二郎
  • 次女  鷹
  • 三女  安
  • 三男  信吾
  • 四男  小兵衛

 

計7人で、隆盛が長男なので下に男3人女3人ですね。

 

大河ドラマなどでは色々な俳優さんが演じますが、

 

実は、いずれも顔は似ていたといいます。

 

え?・・女性も隆盛に似ていると?・・・

 

西郷さんに髪を伸ばして・・想像は止めましょう。^^;

 

 

しっかりもの?! 3姉妹

 

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まずは三人の妹をご紹介しましょう。

 

気は優しくてしっかり者 長女 「

 

1831年生まれ。

 

父母や祖父が病気がちで貧しい西郷家の中で、

 

家を守る長女、琴の役割は重要でした。

 

ちなみに、西郷家は本当に貧しかったようです。

 

藩内の身分で言うと中の下くらいで、

 

城下に住まう武士としては下級というところでした。

 

薩摩藩では石高を武士の間で売買できたのですが、

 

隆盛の祖父はその売買に失敗

 

大金な借金を作っていしまいます。

 

この借金の上に家族が多い、

 

さらには家督を継いだ吉之助(隆盛)は島流しになったり、

 

解雇されたりで収入が途絶えがちだったので

 

西郷家はお金には苦労しました。

 

そんな中で琴は兄弟の面倒をよく見て、

 

自身も家格が上の薩摩藩士、

 

市来正之丞と結婚し80歳まで長生きをしました。

 

 

若くして不幸に 次女 鷹

 

1837年生まれ。(諸説あり)

 

薩摩藩士と結婚しますが、

 

20代半ばで亡くなってしまいました。

 

歴史の脇証人  三女 安

 

1839年生まれ。

 

父吉兵衛の弟大山綱昌の長男成美と結婚します。

 

従兄弟どおしですね

 

夫の綱昌は、寺田屋事件の際に船を出して

 

坂本龍馬を助けたという逸話があります。

 

その後、京都の副知事になります。

 

子供も生まれますが、

 

長男の辰之助は西南戦争で戦死しました。

 

歩んだ道は正反対! 二人の弟

 

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そして、3人の男兄弟です。

 

末っ子の小兵衛は、歳が離れていたこともあり、

 

隆盛にはたいそうかわいがられていたようですね。

 

次男の吉二郎と三男の信吾は激動の歴史の中で

 

正反対の道を歩むことになります。

 

弟だけど兄?! 西郷吉二郎

 

1831年生まれ。

 

長男吉之助(隆盛)、三男信吾従道)は

 

いずれも維新の英雄です。

 

この二人に挟まれた次男の立ち位置はやはり、

 

苦労が多かったのではないかと思われますよね。

 

父母がなくなり家督を継いだのは隆盛でしたが、

 

藩主島津斉彬の小姓となった隆盛は江戸に出張になります。

 

 

一家の大黒柱 吉二郎

 

長男不在の西郷家を支えて切り盛りしたのが吉二郎です。

 

そして、家督を継いだ隆盛が島流しになって

 

収入が途絶えた時も支えたのは吉二郎でした。

 

隆盛は奄美大島に流され、吉二郎は遠慮という処分に、

 

もう一人の弟信吾(従道)は謹慎処分になりました。

 

遠慮」という刑は基本的に家の中で暮らして

 

外へ出てはいけないというものです。

 

夜になると出歩くのは黙認されていたようで、

 

裏山で木の枝を拾って売るなどして

 

なんとか収入を得たいたのです。

 

その困窮の極みのときに隆盛は奄美大島で

 

愛加那さんと結婚して子供まで。

 

島流しにあった隆盛のほうが

 

のんびり暮らしていたかもしれません。

 

兄に慕われた弟 吉二郎

 

西郷隆盛は吉二郎に対しては

 

本当に尊敬と感謝の思いを持っていました。

 

1990年のNHK大河ドラマ「翔ぶがごとく」では、

 

西田敏行演じる西郷隆盛が吉二郎に

 

「今後、私はあなたを弟とは思わん。 兄と思おう。」

 

というシーンがあります。

 

2018年の大河ドラマ「西郷どん」で同じセリフのシーンがあります。

 

脚色の多い「西郷どん」でもこのシーンはありましたね。

 

吉二郎には園という妻と二人の子供がいました。

 

西郷一家は大家族で、隆盛が不在の中、

 

隆盛の妻糸子と協力して、一家を支えました。

 

吉二郎は、実は糸子を慕っていたようですね。

 

戊辰戦争で壮絶死

 

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そして、1868年戊辰戦争の際には

 

番兵2番隊監事として越後に従軍しています。

 

越後の長岡藩は奥羽越列藩同盟の中心的役割を果たし、

 

最後まで明治新政府に抗った藩で、

 

長岡城の戦いは会津鶴ヶ城の戦いと並ぶ激戦でした。

 

吉二郎は越後国五十嵐川付近(現在の新潟県三条市)で

 

負った傷が元で亡くなります。36歳でした。

 

吉二郎のことを弟ながら兄として尊敬していた隆盛が、

 

その戦死を知ったときはどれほど悲しんだでしょうか。

 

想像すると胸が痛くなりますね。

 

明治政府は吉二郎の功績をたたえて、

 

家族に扶持米70表を30年間贈り続けています。

 

今のお金で言うとおよそ年間500万円くらいの価値で

 

30年間でなんと!1億5千万円ということになります。

 

ちなみに、吉二郎は維新前には

 

習字などの手習いを教えていたこともありました。

 

その時の教え子、東郷平八郎は後に日露戦争で

 

バルチック艦隊を撃破して日本を勝利に導いています。

 

 

実は大物!小西郷と呼ばれた男 西郷従道

 

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1843年生まれ。

 

西郷従道」(じゅうどう)という名で知られていますが、

 

実は本名は隆道(りゅうどう)です。

 

明治になって役所の登録で読み方を間違えて

 

じゅうどう」にされてしまったのですが、

 

訂正せずにそのまま従道(じゅうどう)を名乗ったそうです。

 

この人物、西郷隆盛に負けない大物のようで、

 

エピソードも満載です。

 

周囲では、隆盛、従道の二人をわかりやすく

 

大西郷」と「小西郷」と呼んでいたようですね。

 

幼い頃は藩主島津斉彬の茶坊主として使えていました。

 

そして、青年になると過激な活動に打ち込んでいきます。

 

  • 1862年 寺田屋事件に参加 謹慎処分
  • 1863年 薩英戦争で決死隊に志願
  • 1868年 戊辰戦争で各地を転戦

 

しかし、西南戦争では兄隆盛と袂を分かち参戦はしていません。

 

新政府で大活躍!

 

この西郷従道は、明治新政府で要職を歴任します。

 

  • 農商務卿
  • 陸軍卿
  • 文部卿
  • 内務大臣
  • 海軍大臣
  • 陸軍大臣
  • 農商務大臣
  • 貴族院議員

 

と、こんなところでしょうか。

 

驚きなのは、陸海軍の大臣を歴任しながらも

 

文部・農商務の大臣も勤めています。

 

文武両道の大物だったのは間違いありません。

 

当然ながら、総理大臣候補として名前が挙がりますが、

 

これだけは断りつづけたようです。

 

「兄が逆賊なのに、俺が国のトップになっても民衆が納得せん。」

 

と固辞したと言います。

 

 

人望抜群! なるほど大臣

 

西郷従道という大臣は懐の深く、

 

周囲からの人望も非常に厚い人物でした。

 

部下の進言を「なるほど、なるほど」といって耳を傾けるので、

 

「なるほど大臣」とあだ名されました。

 

農商務大臣の際には、

 

「わしは農業や商売のことは、まるでわからんから、
あんたの一存で、なんでもドンドンやって下さい。」

 

といって、次官の吉田清成に印を渡して

 

自身は出仕しなかったという逸話も残っています。

 

さすがに3ヶ月くらいで山県有朋にとって代わられたようですが・・・

 

大活躍! 海軍大臣

 

その才能が最も発揮されたのは、やはり軍人としてです。

 

海軍大臣に着任すると、

 

山本権兵衛」を海軍主事として抜擢します。

 

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この山本権兵衛が現在の日本海軍の礎を築いたというのは

 

誰もが認めるところですが、

 

その才覚を見抜いたのも西郷従道でした。

 

そして、あの東郷平八郎を抜擢したのも西郷・山本の差配でした。

 

ちなみに東郷平八郎は吉二郎に若い頃、習字を習っていましたね。

 

なにかのご縁を感じます。

 

従道は、「仕事は部下に任せて責任は自分がとる」といったスタンスで、

 

本当に懐の深い人物だったようです。

 

ある時井上馨に海軍について尋ねられたときに

 

「実はわしもよくわからん。 山本に説明させよう。」

 

といって山本権兵衛に説明をさせて、

 

井上馨はおおいに納得したそうです。

 

なかなか出来そうで出来ない、理想の上司ですね。

 

この、西郷従道から山本権兵衛、

 

そして東郷平八郎への信頼の連鎖が日露戦争の勝利、

 

日本海軍の隆盛につながっていきます。

 

そして1902年胃がんのために亡くなりました。

 

侯爵の爵位をいただき、従一位に任ぜられています。

 

西郷隆盛の兄弟は歴史の波に翻弄されながらも、

 

決して隆盛の影に隠れるのではなく、

 

それぞれの脚で立ち、自らの道を切り開いて生涯を全うしたようです。

 

そして、西郷隆盛の活躍も兄弟の支えがあればこその功績ですね。

 

西郷隆盛の子孫に当たる方が、

 

鹿児島県の城山のふもとで

 

西郷隆盛銅像展望ホール「K10カフェ」というカフェを営んでいます。

 

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気さくな方で、西郷隆盛や従道の逸話を語ってくださいます。

 

ご興味のある方は一度尋ねてみてはいかがでしょうか。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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