【石田三成】に2つの家紋がある本当の理由と裏話とは?

石田三成 家紋 九曜紋 大一大万大吉

 

豊臣家の家臣として頭角を現し、

 

豊臣秀吉亡き後の天下を狙っていたとされるのが

 

石田三成」ですね。

 

武将としての活躍もさることながら、

 

政治手腕も一目置かれていました。

 

そんな石田三成ですが、合戦のときに使用する

 

家紋のようなもの」が話題になっています。

 

それは「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」という、

 

合わせ文字紋です。

 

しかし、この家紋とされるものとは別に、

 

石田家は用意しているものがあるとも言われます。

 

石田家の家紋は、いったいどっちが正しいのでしょうか?

 

ここでは、

 

石田三成に2つの家紋がある本当の理由

 

についてご紹介してきます。

 

 

家紋「大一大万大吉」が指す意味とは?

 

石田三成 家紋 九曜紋 大一大万大吉

 

石田三成が合戦の時に使用していた家紋として有名な、

 

大一大万大吉」ですが

 

どんな意味があるかご存知ですか?これは、

 

 

「一人は全員のために、全員は一人のために
行動すれば天下は泰平になる」

 

という意味があるようです。。

 

あれ!?どこかで聞いたような・・??

 

昭和の人間にはスクールウォーズ

 

彷彿とさせるのは仕方ないことでしょうか。(笑)

 

豊臣秀吉の側近として天下人に求められる条件や、

 

天下を泰平に導くことの難しさを理解していた三成は、

 

どうすれば天下泰平を実現できるのか自分なりに考えたのでしょう。

 

そこでこの言葉が出てきており、

 

縁起を担ぐ意味もあって合戦時に使用していたとされています。

 

まるで家紋のように使っていたと、

 

今では思われていますが実はそうでもないのです。

 

というのも、江戸時代末期以前の文献史料を見ても、

 

「大一大万大吉」の合わせ文字紋は見つかりません。

 

いったい、これは何を意味しているのでしょうか?

 

 

石田三成が家紋「九曜紋」を使用していた理由

 

石田三成 家紋 九曜紋 大一大万大吉

 

実は石田家は家紋として、基本的には

 

九曜紋」を使用していました。

 

九曜紋は石田家のルーツを代々辿ってみても、

 

使用していた痕跡がありますし、三成自身も

 

この家紋を使っていた史料も残されているようです。

 

このことから、三成の家紋が九曜紋というのは

 

間違いはないと言われています。

 

江戸時代末期以前の文献から、

 

合戦などで主に使われていた「大一大万大吉」が

 

文献から見当たらないのは、

 

もともと家紋が別にあったので

 

混乱を避けるためなのでしょうか?

 

いいえ、そうではなく、

 

徳川幕府の考えがそこに及んでいたようです。

 

石田三成 家紋 九曜紋 大一大万大吉

 

江戸幕府を築いた徳川家康は、

 

関ケ原の戦いで豊臣とその連合軍と戦った歴史があります。

 

豊臣家の家臣として台頭してきた石田三成は、

 

関ケ原の戦いにおいて西軍の中心的な武将でした。

 

知恵も働き、戦略に長ける石田三成に

 

徳川家康は大変苦労をしたようです。

 

それでも東軍が勝利し、天下は豊臣家ではなく

 

徳川家が奪い、江戸時代が幕を開けました。

 

歴史は勝者が都合良く書き換えてしまうもので、

 

徳川家康が苦戦を強いられた石田三成について

 

悪者」という扱いを徹底的にし、

 

歴史もそのように書き換えたのです。

 

その徹底ぶりは江戸時代の庶民にまで広がり、

 

三成悪人なり
三成のような大人になるな

 

と、親が子供に言い聞かせていたとも言われています。

 

しかしどの世であっても、本当の歴史を知りたいと思う

 

史家はいるもので真実を追求しようと試みる人も多くいました。

 

ところが徳川家は史実は公表されている通りと突っぱね、

 

それでも研究しようものなら容赦なく処罰したとされます。

 

 

石田三成の家紋 まとめ

 

石田三成 家紋 九曜紋 大一大万大吉

 

徳川家が意地になって、

 

「石田三成は悪者」ということを伝え続けてきました。

 

それは政局が安定していれば可能ですが、

 

政局が揺らいでくるとそこまで手が回らなくなってくるものです。

 

江戸末期になると幕府の権威も失墜し、

 

外国からは開港を迫る圧力(黒船来航)が来るなど、

 

それどころではない事案が立て続けに発生します。

 

最初はそれでも伝え続けていたようですが、

 

規制という点ではどうしても緩くなってしまったのでしょう。

 

史家は「これはチャンス!」と思い、

 

密かに真実に迫る研究を続けていきました。

 

そうして石田三成の、「大一大万大吉」という

 

合戦に使われた合わせ文字紋が、

 

文献で登場するようになったのです。

 

徳川家が貫き通していた、

 

石田三成は悪者」というウソも、

 

史家の研究により見抜かれることになります。

 

そもそも「大一大万大吉」の意味を見れば、

 

平和な世の中を夢見ていた人だ

 

ということはすぐに分かりますよね?

 

こうして今では三成が悪者だと考える人は、

 

ほとんどいなくなったのです。

 

石田三成に家紋が2つあるような状況になっていますが、

 

簡単にまとめると以下の通りです。

 

  • 自分の理想を旗印に掲げて士気を上げていた
  • 理想は、「大一大万大吉」の意味するように、みんなで力を合わせて天下泰平を実現すること
  • 石田家の家紋は正式なものとして、「九曜紋」がある
  • 徳川家は石田三成を悪者として、歴史を書き換えた
  • 江戸末期に徳川幕府の権威が失墜すると、石田三成の真実が明らかになってきた

 

こうした流れがあるんですね。

 

 

いかがでしたか?

 

石田三成には家紋が複数あるように思えますが、

 

実は自分の理想を旗印に付けていただけです。

 

徳川家が歴史を都合よく変更したので、

 

幕府の権威が失墜する江戸末期まで、

 

石田三成の「大一大万大吉」は文献に登場しなかったのです。

 

石田三成の家紋は「九曜紋」で間違いなさそうですから、

 

「大一大万大吉」は家紋ではないということが分かりますね。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!