【坂本龍馬】 魂の名言!この言葉が日本を変えた?!

坂本龍馬 名言 郷士 陸奥宗光 実家 豪商 千葉道場 千葉さな子 さいたにや 勝海舟

 

「坂本龍馬」、歴史上の偉人の中でも

 

一番ファンが多い人物といっていいでしょう。

 

いったい、坂本龍馬はどんな人物だったのか?

 

その手がかりになる手紙や逸話は

 

数多く残されています。

 

いろんな人に手紙を書いたり、

 

また、お付き合いの幅が広い

 

お友達の多い人だったんですね。

 

現代風に言えば、facebookやツイッター、

 

インスタにLINEしまくりの・・・^^;

 

いろんな人とつながりまくりの・・・

 

そんな感じの人物だったんですね。(* ´艸`)

 

そんな坂本龍馬ならではの、

 

名言」や「迷言」?wwの数々を

 

エピソードを交えながらご披露します。

 

  • 波乱万丈! 龍馬の生い立ち
  • 土佐でもんもんとしていた時の名言
  • 江戸修行の時の名言
  • 脱藩浪人の時代の名言
  • 西郷隆盛とであった時の名言
  • 倒幕なった時の名言

 

 

波乱万丈! 龍馬の生い立ち

 

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龍馬の実家は大金持ちだった

 

そもそも坂本龍馬の実家は、

 

質屋、酒屋、呉服店等を営む

 

土佐の城下町の中でも屈指の豪商でした。

 

藩の役人や上級の武家にも

 

お金を貸したりして、かなり名家でした。

 

もともとは商家だった坂本家は、

 

一説によると、

 

財力で士族の地位を手に入れた

 

とも言われています。

 

ちなみに、現在その実家のあった場所は

 

コーヒーハウス「さいたにや」という喫茶店になってます。

 

が。。経営者の方は龍馬の末裔ではなく、

 

少し寂しい感じもしますね。。

 

しかし、この土佐というのは非常にやっかいな国で、

 

当時の日本の中でも身分制度の厳しい藩でした。

 

大金持ちで士族の身分を手に入れた坂本家ですが、

 

土佐藩の中では「郷士」という身分の低い家柄で

 

数々の差別や仕打ちを受けてしまいます。

 

この時の体験が後の坂本龍馬の原点となっているのでしょう。

 

 

えぐいぜ! 土佐の身分制度

 

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その坂本龍馬の原点となった

 

土佐の身分制度とはどういうものか?

 

関が原の合戦で勝利した徳川方の山内家が

 

土佐の藩主になった際に、

 

地元の豪族を従えるために、

 

  • 山内家の家臣を「上士
  • 土豪を「郷士下士)」

 

として明確に区別しました。

 

その実態は実にえぐい差別で、

 

たとえば、

 

  • 下駄日傘を郷士は使用していけない
  • をはいてはいけない

 

などなど。。。ほんと酷いですな。。^^;

 

大金持ちでしたが、身分を金で買ったと

 

言われていた坂本家なので、

 

上士からは結構ひどい扱いを受けていたようです。

 

土佐から江戸へ、そして脱藩!

 

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そんな坂本家でしたが、龍馬はなによりも

 

剣術が得意でその腕が認められて

 

土佐から江戸へ剣術修行が認められます。

 

現代で言えば、国費留学で

 

アメリカへいけるようなものです。

 

かの有名な江戸の「千葉道場」に入門した龍馬は、

 

そこで、黒船来航、勝海舟との出会い、

 

高杉晋作や桂小五郎などの

 

勤皇の志士との出会いなど、

 

その後の人生を決定付ける

 

体験を次々にしていきます。

 

そして、ついには土佐脱藩倒幕

 

維新に突き進んでいくことになるのです。

 

少々長くなりましたが、そろそろ本題です。笑

 

手紙好きで、お話好きの坂本龍馬が

 

残した名言をいくつかを、

 

その歴史を追いながら探ってみましょう。

 

 

土佐でもんもんとしていた時の名言

 

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世の中のひとはなにをぞ言わば言え
我が為すること我れのみぞ知る

 

龍馬16歳の頃に詠んだ和歌です。

 

「世の中のひとがなんと言おうと、
自分のするべきとこは自分が知っている」

 

といった意味です。

 

身分制度のなかで虐げられながら、

 

「いつか見ていろ」といった、

 

若き日ならではの龍馬の気概が感じられますね。

 

江戸修行の時の名言

 

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「これを私と思ってください」(意訳)

 

江戸修行時代に千葉道場の娘である

 

千葉さな子」と出会います。

 

龍馬はそれほどさな子のことが

 

好きでもなかったようですが、

 

どうやら少し調子のいいところもあるようで、

 

千葉道場を離れる際に

 

坂本家の家紋の入った着物を

 

渡してそのような言葉を残しました。

 

千葉さな子は純情な女性で、その後、

 

「私は坂本龍馬の婚約者です」

 

と周囲にも話していました。

 

甲府にあるさな子のお墓には

 

坂本龍馬室」と記されていて、

 

坂本龍馬の妻”という意味ですね。

 

当の龍馬はその後

 

「さな子はあまり好きではなかった」

 

という言葉を残しているようですが、

 

なんとも罪作りなエピソードですね。

 

ただこれは、「迷言」のようですが。。。

 

 

脱藩浪人の時代の名言

 

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日本を今一度せんたくいたし申候

 

龍馬の名言の中で一番有名かもしれません。

 

文久3年(1863年)に実家の乙女姉さんに

 

送った手紙の一節で、龍馬が勝海舟に

 

弟子入りをして、海軍操練所設立のために

 

実務を始めた頃の言葉です。

 

「日本を洗濯して良くしたい」といった意味で

 

考えられがちですが、

 

原文をしっかり読むと結構過激なんです!!^^;

 

<原文>

姦吏を一事に軍いたし打殺、
日本ニツポンを今一度せんたく(洗濯)いたし申候
事ニいたすべくとの神願ガンニて候

 

ざっくり訳すると、

 

悪い役人と戦って打ち殺し、
神様にどちらがいいか
もう一度”選択”してもらいたい

 

といった意味になります。

 

いつの間にか、「選択」が「洗濯」に変わってしまったようですね。

 

このあたりは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」での

 

表現が有名になったからかもしれません。

 

 

西郷隆盛とであった時の名言

 

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われ、はじめて西郷を見る。 
その人物、茫漠としてとらえどころなし。 
大鐘のごとし。 
小さく叩けばさく鳴り、大きく叩けばきく鳴る。

 

西郷隆盛に会ったときの印象を、

 

師である勝海舟に話した時の言葉です。

 

西郷隆盛を大鐘に、

 

龍馬自身を叩く撞木(しゅもく)に例えています。

 

この言葉を聞いた時に、

 

どういうわけか評した坂本龍馬よりも、

 

評された西郷隆盛に憧れをもってしまいました。

 

「大きく叩けば、大きく鳴る」

 

西郷隆盛ならではの懐の深さと大きさが

 

見事に表現されていて、龍馬もまた、

 

西郷隆盛のそんな魅力を

 

伝えたかったのではないでしょうか。

 

ちなみに、この言葉の後には

 

ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした

 

と続けられています。

 

龍馬が「西郷の大鐘を鳴らすだけの器量が足りなかった

 

自分自身を評しているんですね。

 

そして、これを聞いた勝海舟」は、

 

と語ったと伝えられています。

 

勝海舟は、この二人の英雄の出会いを

 

実に愉快に思ったようですね。

 

 

倒幕なった時の名言

 

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世界の海援隊でもやりますかな

 

倒幕がなって、新政府樹立が

 

現実のものとなった時の名言です。

 

この言葉も実に名言ですね。

 

坂本龍馬は、「新政府の案」を作成し、

 

西郷隆盛に披露しますが

 

その中に龍馬自身の名前がありません。

 

不思議に思った西郷が聞いた時の

 

龍馬の言葉として伝えられています。

 

役人のような窮屈な立場よりも
自由に動ける海援隊で世界に出て行きたい

 

そう考えたのでしょう。

 

この言葉を聞いた陸奥宗光(海援隊出身、

 

後の外務大臣)は、

 

「西郷よりも坂本のほうが一枚も二枚も上だ」

 

と確信したと回顧録で述べています。

 

いかがですか。

 

坂本龍馬は、実におしゃべりで、

 

いろんな言葉を残していますが、

 

その全てが彼の本音であり、

 

その時その時の気持ちを

 

素直に表現しているんですね。

 

そしてその言葉の一つ一つからは、

 

彼の人柄と思いの強さがしっかりと伝わってきます。

 

明治維新の登場人物は、

 

西郷隆盛大久保利光

 

桂小五郎高杉晋作勝海舟

 

後藤象二郎板垣退助などなど、

 

いずれもそれなりの身分を持った士族です。

 

そんな中で、脱藩浪人の坂本竜馬

 

どうしてこんなにも活躍できたのか?

 

それは、龍馬の口をついて出る一言一言、

 

魂の名言が心に響いたからではないでしょうか。

 

そして、現代においても私たちの心を動かしている

 

気がしてならないのは私だけでないはず!!^^b

 

そんな「龍馬暗殺の実行犯とは!?

 

も合わせてどうぞ!

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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