【明智光秀】の娘の壮絶な人生とは?死因に残る3つの疑問とは?

明智光秀 娘 細川ガラシャ 細川玉

 

戦国時代で一番謎めいた人物が、

 

明智光秀」ですね。

 

仕えていた主君・織田信長を自害に追いやり、

 

その後行方不明になるなど

 

不思議な点が多い特徴を持ちます。

 

そんな明智光秀ですが、

 

娘がいたことが分かっています。

 

娘はどんな人生を送ったのでしょうか?

 

ここでは、

 

明智光秀の娘の壮絶な人生と死因に残る3つの疑問

 

についてご紹介してきます。

 

 

明智光秀の娘の名前は?

 

明智光秀 娘 細川ガラシャ 細川玉

 

明智光秀の娘は、

 

細川ガラシャ」と呼ばれており、

 

戦国時代の日本女性とは思えない

 

変わった名前ですよね。

 

実は明智光秀の三女、

 

細川ガラシャは日本で最初の女性クリスチャンで、

 

洗礼名が「ガラシャ」なので

 

この名前になったと言われています。

 

本名は「細川玉」ですから、

 

いきなり普通の女性の印象を受けますよね。^^;

 

戦国時代末期に活躍した武将

 

細川忠興」の婦人として、

 

混乱著しい戦国末期でも

 

夫である武将を影ながら支えた

 

婦人の鏡」とも例えられる人物でした。

 

武将の婦人はどんな振る舞いを求められるのかや、

 

覚悟するべき点などを理解しており、

 

とても聡明で明哲で、

 

誉れ高い女性としてその名前を後世に残してきました。

 

戦国時代は、女性の活躍や生涯について

 

詳しく記述されることはありません。

 

ところが「細川ガラシャ」の場合は、

 

最初のクリスチャンという側面もあってか、

 

ある程度史料に記載されています。

 

 

本能寺の変が娘「細川ガラシャ」の運命を変えた

 

明智光秀 娘 細川ガラシャ 細川玉

 

明智光秀の娘である細川ガラシャは、

 

多感な少女時代を送ります。

 

武将として成功した明智光秀は、織田信長から

 

坂本城」を貰うなどして

 

周囲にその存在感を示してきました。

 

武将として尊敬できる父の背中を見て育ったこともあり、

 

聡明で気が強く、

 

そして美しい女性に成長していったのです。

 

明智光秀とガラシャの夫となる細川忠興、

 

その父・細川藤多考はとても親しい仲であり、

 

織田信長とも良好な関係を持っていました。

 

忠興とガラシャの仲を取り持ったのも織田信長とされているので、

 

良好な関係があったと理解できますよね。

 

ところが、その関係が大きく崩れる事件が発生します。

 

それが後世にも語り継がれる、

 

本能寺の変」です。

 

信頼していた人物・織田信長を、

 

父・明智光秀が裏切り自害に追いやったのですから、

 

ガラシャの環境が大きく変わっても不思議ではありません。

 

本能寺の変以降、

 

ガラシャの運命の歯車は狂い始めるのでした。

 

明智光秀が織田信長を襲ったニュースは、

 

すぐに各地に伝わります。

 

信長を信頼し一目置いていた、

 

ガラシャの夫・忠興とその父は明智光秀を討伐しようと考えます。

 

結局のところ、明智光秀は周囲からの賛同を得られず、

 

落ち武者狩りに殺されてしまうのです。

 

通常であれば娘のガラシャも命の危険がありましたが、

 

夫を許してくれた後に

 

天下を取る豊臣秀吉も許してくれました。

 

周囲は寛容な心を示してくれましたが、

 

以前のような暮らしに戻れるハズもなく、

 

夫もどこか変わってしまいます。

 

心を痛めた細川玉はカトリックの洗礼を1587年に受け

 

細川ガラシャ」になり、さらに美しくなりました。

 

これで身も心もキレイになったと思いきや、

 

運命はどこまでもガラシャに厳しく当たるのでした・・・。

 

 

明智光秀の娘「細川ガラシャ」の壮絶な人生とは?

 

明智光秀 娘 細川ガラシャ 細川玉

 

天下人だった豊臣秀吉が病に倒れてから、

 

周囲はざわつき始めます。

 

病態を見ていれば、死期が近いことは一目瞭然で、

 

周囲はその次の未来に目を向けていました。

 

つまり「次は誰が天下人になるのか?

 

という部分に焦点が当てられたのです。

 

下剋上が当たり前の時代でしたから、

 

豊臣秀吉が倒れてからは「次はオレが天下人になる!」

 

という野心を持つ大名やその家臣は大勢いました。

 

そして着々と準備が進められていったのです。

 

次の天下人を決める大一番の合戦、

 

関ケ原の戦い」が勃発すると、

 

多くの大名は練りに練った作戦を実行します。

 

関ケ原の戦いでは、細川ガラシャの夫は東軍に投じられました。

 

西軍の総帥「石田三成」は、

 

東軍の士気を落とす狙いで

 

細川ガラシャを人質に取ります。

 

石田三成としては、ガラシャを人質に取るのは

 

予定通りでの作戦です。

 

ところが思いがけない事態になります。

 

細川ガラシャは武将・明智光秀の背中を見て育ってきたので、

 

当然の行動だと判断したのかもしれませんが・・・。

 

明智光秀 娘 細川ガラシャ 細川玉

 

細川ガラシャは石田三成によって人質になったのですが、

 

ある程度は予想していたようです。

 

自分自身が利用され、

 

夫が翻弄されるのは許されないと判断し、

 

自ら炎の中に身を投じました。

 

武将の娘・妻として、

 

他の力には決して屈しない芯の強さを、ここで示したのです。

 

ところが自殺したと伝わるガラシャですが、

 

本当は自殺はしていないのではないかとも指摘されています。

 

というのも、クリスチャンは自ら死を選ぶことを禁じており

 

洗礼を受けるまで信仰の強いガラシャが

 

禁じられている行為をするでしょうか?

 

いくら時代背景がそうであったとはいえ、

 

自ら死を選ぶのは考えにくいのです。

 

そのため、現代では以下のような結末が考えられています。

 

  • 石田三成は人質にしたフリをして逃がした
  • そもそも人質にはなっていない
  • 病死していた

 

いずれにしても詳しい史料がありませんので

 

憶測でしかありませんが、

 

享年は38歳と記録されているようです。

 

 

いかがでしたか?

 

戦国時代に運命を翻弄されてきた、

 

明智光秀の娘について見ていきました。

 

波乱万丈な人生は、時代背景を映し出していいますよね。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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