聖徳太子はいない?実は聖徳太子がいなかったと噂される4つの理由とは!!

聖徳太子 いなかった 教科書 消える

 

歴史の教科書に必ずと言ってよいほど登場するのが、

 

聖徳太子」ですよね。

 

冠位十二階や十七条の憲法などの

 

政策が特に有名ですが、

 

とりわけ知られているのが

 

不思議な能力を備えている」というものですよね。

 

数多くの伝説を持つ聖徳太子ですが、

 

実はいなかったのではないかと

 

最近言われるようになりました。

 

どうしてそんな説が登場するようになったのでしょうか?

 

ここでは、

 

聖徳太子がいなかったと噂される4つの理由

 

についてご紹介してきます。

 

 

聖徳太子がいなかったと噂される4つの理由

 

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聖徳太子」が実際に存在しないとなれば、

 

それは大きな出来事ですよね?

 

どうして実はいなかったとする説が登場したのかについては、

 

以下に挙げる理由が分かってきたからです。

 

これらの理由について、

 

どうして叫ばれるようになったのか次から詳しく見ていきます。

 

1:日本書紀に厩戸皇子という記載がない

 

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そもそも聖徳太子と呼ばれている人物は、

 

その当時「厩戸皇子」という名前でした。

 

馬小屋の前で産まれたことから、

 

この名前が付いたと言われており、

 

産まれた直後から会話ができ歩いたとされます。

 

厩戸皇子が実在したという点は、

 

書物から確認できます。

 

しかしこの書物が、

 

どうも信用性に欠ける記述が多いので

 

実在した証拠にするには、

 

まだまだ検討の余地があるのです。

 

日本書紀という、比較的信頼できる書物には、

 

厩戸皇子の名前が記載されていません。

 

このように考えると、厩戸皇子(聖徳太子)は

 

実際には存在しないのではないか?という疑問が生じるのです。

 

 

2:肖像画は「聖徳太子」本人ではない

 

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旧1万円札に印刷されるなど、

 

聖徳太子の肖像画は多くの人が知っていますよね?

 

大昔の人物なので、この通りの顔をしているかどうかは怪しいにしろ、

 

本人だと誰もが思っているでしょう。

 

ところが、最近の調査によって

 

この肖像画が本人であると

 

断定することができないと結論づけられました。

 

根拠となっているのが、

 

頭に被っている衣装、そしてシャクです。

 

この3点は、聖徳太子が生きていたとする時代に存在しなかったものだと、

 

最近の調査によって明らかになってきました。

 

これら3点は、大化の改新以降に流入してきたもので、

 

顔に描かれている立派なヒゲも、

 

誰かが後から付け足したものとされています。

 

 

3:十七条の憲法は不明な点が多い

 

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聖徳太子が政策した有名な

 

十七条の憲法」ですが、

 

これを本当に聖徳太子が唱えたのかは

 

疑問が残されています。

 

というのも、役人の呼び方や内容の記載に当時では

 

あまり用いられない使い方が含まれている

 

という点が、引っかかる部分です。

 

元々は違う内容の憲法で、

 

後から誰かが付け足したのではないかと言われています。

 

十七条の憲法が日本書紀にしか、

 

記載がないというのも不思議なところです。

 

日本書紀は日本の正式な史実本として信頼されています。

 

そこに十七条の憲法が書かれているから正しいというのは、

 

すんなりと受け入れられるものではありませんよね。

 

内容に疑問点があるので、もしかしたら十七条の憲法は

 

聖徳太子が作ったものではないかもしれません。

 

 

4:推古天皇の存在も疑問視されている

 

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608年に隋史が日本に来日しており、

 

そこで出会った王を男性と記しています。

 

当時は推古天皇だったので、

 

記載内容は「女性」であるハズ。

 

見間違えたという可能性は限りなく低いでしょうから、

 

このときは推古天皇ではなく男性の王だったのでしょう。

 

さらに推古天皇が王と記しているのは、

 

聖徳太子との関係によってつくられた史料でしか見当たりません。

 

つまり聖徳太子のみならず、推古天皇も

 

すべて架空の作られた人物だったのではないか?

 

と考えられています。

 

日本書紀によってはじめて登場する聖徳太子ですが、

 

様々な活躍をしていた聖人だったのに、

 

どうして100年もの間語られることが無かったのかも疑問です。

 

 

いかがでしたか?

 

聖徳太子がいないとされる説が出てきた理由について、見てきました。

 

こう見ると、聖徳太子はいなかったと考えるほうが自然な感じがしますよね?

 

学校で使われる歴史の教科書でも、

 

「聖徳太子とされている」という風に記述が変わっているほどです。

 

今後の調査により、事実が明らかになるかもしれませんので、

 

そこに期待したいですね。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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