【徳川家康】の最期…殺害・死因で考えられている3つの説とは?

徳川家康 死因 毒殺 胃がん 天ぷらの食べ過ぎ 徳川実記

 

徳川家康は江戸時代の間は神格化されており、

 

その存在は絶対だと信じられてきました。

 

そのため数々の伝説が創り上げられており、

 

どれが事実なのか分からなくなっているのも現状です。

 

そんな徳川家康ですが、

 

実は死因には様々な説があります。

 

では徳川家康の死因は、何が考えられるのでしょうか?

 

ここでは、

 

徳川家康の最期、殺害・死因で考えられている3つの説

 

についてご紹介してきます。

 

 

徳川家康の死因で考えられている3つの説

 

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徳川家康のような天下人となれば、

 

それなりに詳細な記録が残されていると思われがちですが、

 

やはり戦国時代から江戸時代初期にかけての

 

人物なので詳しく残されていないのが現状です。

 

そのため死因についてもいくつか説があり、

 

有力」とされているものもありますが、

 

それでも確実に分かっているワケではありません。

 

現在のところ、以下に挙げる

 

死因が有力な説として考えられています。

 

 

1:胃がんによる死

 

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徳川家康の死因については、

 

様々な説が流れていますがその中でも

 

一番有力だとされているのが、

 

胃がん」です。

 

徳川家康の死因を考える上で参考になる公式文書が、

 

徳川実記」と呼ばれる書物。

 

この書物によれば、徳川家康は

 

「見るうちに痩せ衰えていき、
吐血黒い便を出し、
腹には大きなシコリが確認される」

 

と、家康の病状が詳しく記されています。

 

症状からして、悪性の胃腸炎やストレスによる

 

腸カタルなどが考えられますが、

 

シコリが触って確認できるという点から

 

胃がん」がやはり可能性として高いと見られるのです。

 

また家康は発症する前から食欲がなく、

 

体が痩せていたという記録もあるので

 

ますます胃がんの可能性が高いと言えるでしょう。

 

家康が生きていた時代は、人生50年、

 

50歳前後が寿命と言われていたので

 

70歳以上も生きた家康は長寿だと言えます。

 

胃がんを発症したとしても不思議ではなく、

 

天寿を全うしたとみて良いかもしれませんね。

 

 

2:天ぷらの食べ過ぎ

 

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徳川家康の死因について、

 

有名な説が「天ぷらの食べ過ぎ」というものですね。

 

俗説という見方のほうが強いのですが、

 

どうしてこの説が多くの人が知るほど有名になったのでしょうか?

 

戦国時代から江戸初期にかけて、

 

南蛮料理の天ぷらが日本に伝わったとされています。

 

この当時、灯火用の油は大変貴重で、

 

大量の油を用いる天ぷらは高級品であり、

 

庶民にとっては高嶺の花でした。

 

そう簡単に食べられるものではありませんでしたが、

 

徳川家の時代になってから

 

菜種油が安価で広まるようになり、

 

天ぷらは庶民が食べる定番料理となったのです。

 

まだ天ぷらが庶民にとって高価だった頃、

 

家康は京阪付近で鯛を油で揚げて、

 

その上にニラをすり下ろした醤油を垂らして

 

食べる料理が人気だと聞きつけます。

 

すぐに料理番に命令して、

 

鯛の天ぷらを作らせました。

 

それを食べた家康は、

 

うまいうまい」と食らいついたのですが、

 

その晩急に腹痛と下痢に襲われ

 

三ケ月後に永眠したのです。

 

この話が残っているため、現代でも

 

「家康は天ぷらの食べ過ぎで死亡した」

 

という説が広まっているんですね。

 

ところが、家康が天ぷらを食べて

 

体調不良を引き起こしてから、

 

死亡するまで実に三ケ月も期間があります。

 

ここまで長い期間があるのに、

 

天ぷらを食べ過ぎたことが死因の直接的な原因と

 

結びつけるのは無理があるのではないでしょうか?

 

家康が油料理に慣れておらず、

 

消化不良を引き起こして

 

体調不良になった可能性は十分にあります。

 

しかし直接的な原因と考えるのは現実的ではないので、

 

この説は俗説として片づけられているのです。

 

 

3:毒殺された

 

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織田信長、豊臣秀吉の流れを継いで

 

天下人になったのが徳川家康でした。

 

戦国末期の頃は、

 

次はオレが天下人になる!

 

と意気込む大名が多くいました。

 

そんな群雄割拠の時代を勝ち残り、

 

徳川家康は天下統一を果たして

 

江戸幕府を築いたのです。

 

ともすれば、「どうして家康なんだ!」と

 

嫉妬を覚えた人も少なくないでしょうし、

 

寝首を狙う輩がいてもおかしくはありません。

 

そこで家康の死因は

 

毒殺」だったのではないかという説が、

 

一般的に広く知られるようになりました。

 

誰が毒殺したのかについては、

 

色々と言われており

 

(明智光秀、豊臣家、織田家など)ハッキリとしていません。

 

いずれにしても、毒殺されたような記録は

 

残っていませんので陰謀説として現在は片づけられています。

 

 

徳川家康の殺害・死因 まとめ

 

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いかがでしたか?

 

徳川家康には3つの死因の説がありますが、

 

その中でも有力とされているのが「胃がん」です。

 

公式文書による記述から想定される病気なので、

 

確実かは不明ですが信憑性は高いと言えるでしょう。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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