【豊臣秀吉】の指が「6本」あったことを裏付ける2つの証拠とは?

豊臣秀吉 指 重瞳 多指症 国祖遺言 ルイス・フロイス 日本史

 

豊臣秀吉」のような天下人になると、

 

後世に様々な話が伝わるようになります。

 

真実なものから、完全な創作まで非常に多いのですが、

 

その中でも事実だと言われているのが

 

多指症」ですね。

 

豊臣秀吉は「右手の親指が2つ」あるという話は、

 

とても有名なので聞いたことがある人も

 

多いのではないでしょうか?

 

では、どうして秀吉の多指症という話は、

 

数多く伝わる話の中でも信頼できる

 

と言われているのでしょうか。

 

ここでは、

 

豊臣秀吉の指は「6本」あった怖すぎる2つの証拠

 

についてご紹介してきます。

 

 

豊臣秀吉の指が「6本」あったことを裏付ける2つの証拠とは?

 

豊臣秀吉 指 重瞳 多指症 国祖遺言 ルイス・フロイス 日本史

 

豊臣秀吉の右手の親指が2本あるという、

 

とても具体的な話がどうして信頼できるのか気になる点です。

 

400年以上も昔の時代なので、

 

途中で話が大きく変わってしまうケースも少なくありません。

 

秀吉の場合も、偉人に伝わる伝説の類の話がとても多いため、

 

指が6本あるという伝えも

 

創作であると考えるのが自然でしょう。

 

ところが、秀吉が多指症だということを裏付ける、

 

2つの証言があるのです。

 

  • 国祖遺言に記述されている内容
  • 日本史に記述されている内容

 

この2つの文献の中には、

 

豊臣秀吉について書かれている部分があり、

 

そこに指が6本あったという証言が記載されています。

 

それではこの2つの文献について、見ていきましょう。

 

 

@国祖遺言に記述されている内容

 

豊臣秀吉 指 重瞳 多指症 国祖遺言 ルイス・フロイス 日本史

 

加賀藩中の家臣に向けて、

 

前田利家がどんな活躍をしてきたのかを記した

 

言行録という名目がある書物が、

 

国祖遺言」です。

 

その書物の中に、

 

太閤様(豊臣秀吉)の右の手には、親指が1本多く、6本の指があった

 

と記載されています。

 

実は国祖遺言に記述されている内容の中には、

 

他の書物に記載されている内容と

 

似ている部分があるので、

 

信憑性に欠ける書物だと言われています。

 

しかし豊臣秀吉が没したすぐ後に書かれた書物なので、

 

たとえ秀吉のことを中傷する目的で

 

ありもしないことを書くとは考えにくいのではないでしょうか?

 

それに創作で書いたとしても、

 

の親指が1本多い」とは具体的すぎますよね。

 

ですから、内容に疑わしい部分がある国祖遺言ですが、

 

秀吉について記載された

 

「指が6本」という記述は信用できるといるのです。

 

ただし、この書物だけが

 

豊臣秀吉の指が6本という記載をしているのならば、

 

疑われても仕方ありません。

 

ところが、まったく別角度から見た文献の中にも、

 

秀吉が多指症であるという証言が出ているのです。

 

それが、ルイス・フロイスが書いた「日本史」でした。

 

 

A日本史に記述されている内容

 

豊臣秀吉 指 重瞳 多指症 国祖遺言 ルイス・フロイス 日本史

 

ルイス・フロイス」は、キリスト教を広めるために

 

日本にきた、ポルトガル人の宣教師です。

 

戦国時代の日本に上陸してからは、

 

そこで力をつけていた織田信長と会談し信用してもらい、

 

日本で布教活動を続けていました。

 

未開の地という認識のあった日本は、

 

独自の文化を発展させていたので今後の宣教のために、

 

ルイス・フロイスは戦国時代の日本を客観的に、

 

そして詳細に記録したのです。

 

そうして書きあがった「日本史」は、

 

その当時のことを知る上で重要な書物として、

 

第一級の評価」を得ています。

 

信憑性のある日本史の中に、

 

秀吉の容姿について次のような記述があります。

 

秀吉は身長がとても低く、片手には6本もの指があった

 

実は豊臣秀吉とルイス・フロイスの関係は

 

あまり良いものではなく、

 

布教活動を続けるイエズス会の背後に

 

ものすごい勢力があることを感じた秀吉は、

 

日本における布教活動を禁止してしまうのです。

 

そのため、ルイス・フロイスは秀吉について

 

あまり良い感情を持っていなかったようで、

 

「日本史」においても中傷のような記載が目立ちます。

 

このことから、6本指の部分も

 

根拠のない中傷という説もあるのですが、

 

果たしてそんな中傷をしてどうなるというのでしょうか?

 

しかも秀吉の指に関する記述はこの一文のみですから、

 

中傷とみるのは考えにくく、これはそのままの秀吉

 

記した事実とみるのが妥当だと考えられています。

 

 

豊臣秀吉の指が6本あったのはほぼ間違いない!?

 

豊臣秀吉 指 重瞳 多指症 国祖遺言 ルイス・フロイス 日本史

 

豊臣秀吉に伝わる多指症の話ですが、

 

2つの文献から見られるというところから、

 

信憑性は高そうですね。

 

秀吉ともなれば、威厳を高めるために

 

創作したとも思われますが、

 

右手の親指が1本多く6本指というのは

 

事実だと認識されています。

 

そもそも多指症は珍しい病気なのでしょうか?

 

実は、多指症は決して珍しい病気ではなく、

 

通常は生後すぐに切り落として5本指にしてしまうようで、

 

ほとんどお目にかかれません。

 

知らない間に切られてしまうので、

 

自分が6本指で産まれてきたということすら

 

知らない人も多いのだとか。

 

目立たないので、不思議に感じますが

 

日本ではおおよそ1000人に1人の割合で、

 

この症状を患うようですから驚きですよね?

 

こう考えると、秀吉が多指症だったとしても

 

何ら不思議ではありませんね。

 

そういえば、秀吉には瞳が2つある、

 

重瞳」という症状を持っていたとする噂もあります。

 

これは中国で貴人の相と呼ばれていた為であり、

 

中国文化が日本に入ってきてから

 

日本でもこの話が出てくるようになりました。

 

ですから、秀吉が重瞳というのは

 

完全なフィクションであると考えられています。

 

 

いかがでしたか?

 

豊臣秀吉の右手には親指が2本あり

 

6本指だったという説について、

 

様々な角度から見ていきました。

 

2つの文献で同様の指摘をしているところを見ると、

 

この説は本当のようですね。

 

多指症と呼ばれる病気は、

 

現代の日本でも1000人に1人の割合で

 

発症するみたいですから、決して珍しい病気ではありません。

 

秀吉がもし多指症だとしても、不思議ではないんですね。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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