【織田信長】の妻は誰?織田信長が愛した8人の美人妻とは?

織田信長 妻  原田直子 土方氏 慈徳院 養観院 お鍋の方 濃姫 帰蝶 生駒吉乃

 

織田信長」といえば、

 

誰もが知っている戦国時代の武将ですよね。

 

戦国時代における三英傑の一人として数えられており、

 

その最期も謎に包まれているという不思議な人物です。

 

そんな織田信長には側室を含めて8人の妻がいました。

 

織田信長の妻ですから、

 

肝っ玉が据わっているように感じられますが、

 

実際はどうったのでしょうか?

 

ここでは、織田信長が愛した8人の美人妻についてご紹介してきます。

 

 

織田信長が愛した8人の妻とは?

 

織田信長 妻  原田直子 土方氏 慈徳院 養観院 お鍋の方 濃姫 帰蝶 生駒吉乃

 

戦国時代は女性に関する記述がほとんど残されておらず、

 

織田信長の正室や側室の情報も

 

非常に乏しく確実なことは何も言えないのが現状です。

 

それでも一般的に言われているのは、

 

8人の妻」を持っていたということ。

 

濃姫が正室で、それ以外の7人が側室でした。

 

正室と側室の違いについてもまとめておきますね。

 

  • 正室:本妻のこと。この時代も1人だけ
  • 側室:本妻ではない妻。子孫を多く残すために用意した

 

では織田信長の妻は、

 

どういった人物だったのかを次から見ていきますね。

 

1人目:濃姫(帰蝶)

 

織田信長 妻  原田直子 土方氏 慈徳院 養観院 お鍋の方 濃姫 帰蝶 生駒吉乃

 

織田信長の正室として迎えられたのが、濃姫という女性です。

 

美濃国のマムシと呼ばれた斎藤道三の娘であり、

 

1548年に結婚したとされています。

 

実はこのとき、信長と道三は敵対関係にあったのですが、

 

このままの状態を続けていてはダメだと判断して

 

お互い和睦を結ぶようになりました。

 

その印として斎藤道三は娘を信長の正室に出したので、

 

この結婚は「政略結婚」と呼ばれていますね。

 

有名な織田信長の正室ですから、

 

それなりの情報があると思いきや、

 

ほとんど史料が残されていません。

 

ですから結婚してからどんな生活をしていたのかや、

 

信長が死亡した後はどうしていたのかといった、

 

疑問に思う部分がすべてに包まれているのです。

 

信長が死亡した後どうなっていたのかは、

 

10を超える説が唱えられていますが、

 

創作したものも多く含まれていると考えられているので

 

真相を知るのは難しいと言えるでしょう。

 

7人の側室をまとめていたハズですし、

 

美濃のマムシと呼ばれた道三の娘でしたから

 

気が強く立派な女性だったと推測されています。

 

信長と濃姫の間には

 

子供はいなかったとされるのが通説ですが、

 

戦国時代は子供がいたかどうかまで

 

すべて分かっている訳ではないので、

 

もしかしたらいたのかもしれませんね。

 

 

2人目:生駒吉乃

 

織田信長 妻  原田直子 土方氏 慈徳院 養観院 お鍋の方 濃姫 帰蝶 生駒吉乃

 

馬借を家業にしていた、生駒家宗の長女として産まれました。

 

名前は吉乃となっていますが、

 

これは創作であることが判明しており

 

実名とは違っているようです。

 

最初は土田弥平次に嫁ぐのですが、

 

夫が戦死したので実家に帰っていました。

 

実家にいたとき、信長と出会い信長が一目ぼれをして

 

側室になったとされています。

 

信長と吉乃の間には、

 

  • 信忠
  • 信雄
  • 徳姫

 

の3人の子供がいましたが

 

産後の肥立が悪くその後吉乃は死亡してしまいます。

 

濃姫との間に子供がいなかったので、

 

養子となった吉乃の長男、

 

信忠が嫡男だとされているので、

 

実質的に吉乃は正室に近い扱いを

 

受けていたと考えられているのです。

 

よく「信長が一番愛した女性」などと言われますが、

 

これも現代の文学内で発展した創作の可能性が高く、

 

子供はできなかったが

 

濃姫を一番愛していたというのが通説です。

 

享年は31歳とも29歳とも言われており定かではありません。

 

 

3人目:お鍋の方

 

織田信長 妻  原田直子 土方氏 慈徳院 養観院 お鍋の方 濃姫 帰蝶 生駒吉乃

 

お鍋の方」は通称であり、

 

本名が別にあるとされていますが定かではありません。

 

七男・信高と八男・信吉、さらに娘・於振の母親です。

 

俗説によれば、最初は近江国の

 

高野城主である小倉実房に嫁いで、

 

2人の子供をもうけましたが

 

夫が戦死した関係で織田信長の側室になったのだとか。

 

本能寺の変が勃発してからは、

 

側室の代表的な役割を担い

 

信長の遺品を届けて葬儀の準備をしたり、

 

遺品を崇福寺に届けたりしました。

 

こうした行動を見た豊臣秀吉は、

 

お鍋の方を庇護下に置いて、

 

秀吉の正室・ねねに仕える

 

側室筆頭の役割を担っていたとされています。

 

関ケ原の戦いの後からは、

 

京都で晩年を過ごしました。

 

 

4人目:養観院

 

織田信長 妻  原田直子 土方氏 慈徳院 養観院 お鍋の方 濃姫 帰蝶 生駒吉乃

 

養観院」は、羽柴秀吉の養子となった

 

羽柴秀勝の母で、信長の次女である

 

冬姫も娘であるという説もありますが確実ではありません。

 

秀勝自身が亀山城主になった際、

 

一緒に亀山城へと移りましたが、

 

秀勝は病弱だった関係で1585年に死去。

 

秀勝が死去してからは、

 

丹波から京都へと移り出家をして、

 

織田信長や秀勝の菩提(死後のめいふく)を祈りました。

 

5人目:慈徳院

 

織田信忠の乳母であり、

 

三の丸殿の母だとされています。

 

信長の嫡男である信忠の乳母を務めていたところを

 

信長が発見し、側室として招きました。

 

信長が愛した女性として知られ、

 

後の豊臣秀吉の側室となる三の丸殿を出産。

 

 

6人目:土方氏

 

9男である信定の母が土方氏です。

 

織田信長の父である、信秀の代からの

 

家臣である土方信治の孫娘と言われています。

 

7人目:原田直子

 

織田家の家臣である塙直政の妹で

 

織田信政の母と言われています。

 

1554年那古野城で信政を出産したようですが、

 

信政はその存在が疑問視されているので、

 

本当に出産したのか分かりません。

 

1566年に古渡城に移り住んだと伝わりますが、

 

すでのこの城は廃城とされていたので

 

その後の消息は分かっていません。

 

 

8人目:坂氏

 

織田信長 妻  原田直子 土方氏 慈徳院 養観院 お鍋の方 濃姫 帰蝶 生駒吉乃

 

織田信長の三男・信孝の母ですが、

 

坂氏の出自は全くの不明でどういった経緯で側室になったのか、

 

いつ頃織田家へ嫁いだのか分かっていません。

 

信孝が産まれた際、届け出が遅かったのか、

 

それとも坂氏の身分が低かったのかは定かではありませんが、

 

次男とされている信雄よりも20日ほど信孝のほうが

 

早く産まれたのですが三男となっています。

 

1568年に信孝が伊勢にいた神戸具盛の養子になった際、

 

同族だと思われる坂仙斎と一緒に同道

 

本能寺の変により織田信長が自害した際、

 

岐阜城の城主となった信孝と一緒に美濃へ移り住みます。

 

信孝と柴田勝家は秀吉に敵対しており、

 

岐阜城を秀吉に攻められて降伏。

 

この際、信孝の娘と一緒に人質になりましたが、

 

信孝と勝家は秀吉に向けて再挙兵したことをきっかけに、

 

孫娘と共に磔(処刑)にされました。

 

 

ここでは、織田信長の正室と側室の女性について見ていきました。

 

戦国時代は女性の史料が非常に乏しく、

 

信長の正室の濃姫ですら出生年から死去年にかけて何も分かっていません。

 

側室となればもっと不明な点が多く、

 

今後の調査によっては大きく変わってくるかもしれません。

 

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引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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