裏切り者?!【明知光秀】が織田信長を討伐した3つの理由とは?

織田信長 明智光秀 本能寺の変

 

織田信長は天下泰平を夢見ており、

 

それには天下統一を果たす必要がありました。

 

目的だった天下統一までもう少しという段階で、

 

予想もしない事態

 

本能寺の変」が起こったのです。

 

本能寺の変を勃発させたのは

 

明智光秀で、信長の家臣という立場。

 

どうして明智光秀は、クーデターを

 

引き起こしてしまったのでしょうか?

 

ここでは、裏切り者明知光秀」が

 

織田信長を討伐した

 

3つの理由についてご紹介してきます。

 

 

明智光秀はなぜ織田信長を討伐したのか?

 

織田信長 明智光秀 本能寺の変

 

明智光秀がどうして織田信長を討伐したのか、

 

真相は謎に包まれたままです。

 

詳しい史料が出てきませんし、

 

明智光秀が天下統一を果たせば

 

いくつか証拠が出てきたかもしれませんが、

 

本能寺の変の後に農民に殺害されています。

 

明智光秀を追い詰めた豊臣秀吉からも、

 

どうして光秀が本能寺の変を引き起こしたのか?

 

が語られることはありませんでした。

 

そのため、明智光秀がどうして織田信長を襲ったのかは

 

本人にしか分からないところです。

 

本能寺の変が起こった理由は、

 

現在50近くの説があり、

 

中には真犯人が別にいるのではないか?

 

という説まであるほど。

 

近年分かってきたこととしては、

 

本能寺はただの寺ではなく

 

防御面に優れていた」という証拠があります。

 

織田信長が京都を訪れた際に、

 

本能寺を選んでいるというところから考えると、

 

多少なりとも警戒をしていたことが分かりますね。

 

つまり織田信長は、明智光秀が襲う計画を立てていることに関して、

 

薄々気付いていたのかもしれません。

 

本能寺には100人ほどの兵しかいなかったのに対して、

 

明智軍は13000の兵力を持っていたとされており、

 

いきなりこれだけの兵士を集めるのは不可能。

 

ということは、明智光秀には計画性があったと伺うのが現実的でしょう。

 

結局のところ、現在分かっているのは以下の通りです。

 

  • 本能寺は防御面に優れていた
  • 信長は多少警戒していたので、本能寺を選んだ
  • 明智光秀は13000の兵士を用意したので計画性が伺われる

 

しかし肝心なのは、「どうして」明智光秀は信長を襲ったのか、

 

その動機ですよね?

 

この動機について、信長の性格なども合わせて考えてみます。

 

 

理由1.織田信長は部下との付き合い方が斬新だったため

 

織田信長 明智光秀 本能寺の変

 

旧来の大名は、家臣に同等の身分を与えるために

 

独立性を認めていました。

 

というのも、家臣の協力がなければ大名といえども、

 

政権を運営していくのが大変だったからです。

 

家臣の支持を受ける必要があった大名ですが、

 

織田信長は旧来の大名とは大きく考え方が違っていました。

 

織田信長は自分で何もかも考えて決断をするので、

 

家臣の助言などは全く聞かなかったのです。

 

従来のような「同等」な立場という態度とは違い、

 

上司と部下」に近い態度を家臣に対して行っていたので、

 

ここに不快な思いをする家臣がいても不思議ではありません。

 

想像するしかありませんが、明智光秀は旧来のような

 

同等」な立場を望んでいたのではないでしょうか?

 

それなのに織田信長は、同等ではなく部下としてしか接してくれないので、

 

不満が募っていったと推測できるでしょう。

 

今までとは違う家臣への対応が、

 

明智光秀の忠誠心を変化させていったのです。

 

 

理由2.織田支店長と家臣店長のような関係だったため

 

織田信長 明智光秀 本能寺の変

 

織田信長から見れば、家臣は

 

自分の野望を実現させるための協力者であり、

 

土地を与えるという報酬は一時的な

 

管理責任を与えるという考え方でした。

 

現代で置き換えてみれば、

 

織田支店長と家臣店長のような構図でしょう。

 

支店長だけでは全ての範囲を管轄できませんから、

 

そこに店長(家臣)を置き管理責任を任せたのです。

 

マネジメント能力に優れていた信長だからこそ、

 

こうした構造が可能だったんですね。

 

報酬で与えた土地というのは、

 

結局は織田家の土地ですから、

 

管理責任が乏しいと判断すれば

 

配置転換は十分に考えられることでした。

 

通常の大名は家臣に自分と同等の権利を与えていたので、

 

信長の家臣との立場の差は

 

歴然としていることが分かりますよね?

 

旧来の立場を望んでいた光秀は、

 

このような状況を目の当たりにして、

 

ますます信長に疑念を持つようになったのではないか

 

と推測されています。

 

 

理由3.コミュニケーション不足が招いた内部崩壊

 

織田信長 明智光秀 本能寺の変

 

明智光秀からしてみれば、

 

織田信長と同じ権利を得たいと思っていたのに、

 

「部下」としか見てくれない状況が続いたことを

 

面白くないと思っていました。

 

しっかりとコミュニケーションを取って、

 

不満をぶつけられれば

 

溝も埋まったかもしれませんが、

 

信長は家臣の言うことを聞くような性格ではなかったようですから、

 

言うだけ無駄と光秀も考えていたのでしょう。

 

現代感覚で考えてみれば、

 

不服であれば今の会社(織田家家臣)を辞めて、

 

別の会社(他の大名)へ転職すれば良いと考えますよね。

 

しかし天下無双の強さを誇っていた

 

信長を間近で見てきた光秀は、

 

他の大名の家臣として仕えても、いずれ倒される

 

と思ったに違いありません。

 

不満をぶつけることも、

 

離職することもできないとなれば、

 

残された選択肢は限られてきます。

 

手薄な警備態勢のところを攻め込み、

 

自分が社長になってやろうと思うのも、

 

ごく自然な流れですよね?

 

明智光秀のクーデターは、

 

信長の性格や家臣への態度、

 

光秀の考え方などが複合的に合わさって

 

行われたのではないかと考えられているのです。

 

 

いかがでしたか?

 

明智光秀がどうして織田信長を襲ったのか、

 

信長の性格や考え方などを参考にしながら見ていきました。

 

動機は明智光秀にしか分からないところですが、

 

謎が謎を呼ぶ本能寺の変は今でも多くの人が関心を持っています。

 

新しい発見に向けて、様々な角度から調査が行われているようですから、

 

進展に期待したいですね。

 

引き続き、「歴史に隠された黒い噂と黒歴史」をお楽しみください!!

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