【島津斉彬】にまつわる伝説!!記事一覧

島津斉彬 肖像画 上半身

突然ですが、「近思録崩れ」と言うのをご存知でしょうか。これは、薩摩藩の暗部に触れることであり、藩を二分したきっかけとなった事件だったのですが、当時の資料のほとんどが処分され全容を知ることができないこともあり、鹿児島でもあまり語られることはありません。そして、島津斉彬の死の遠因とも言われている事件なんですが、今回はそんな島津斉彬の死因について見て行きましょう!!「近思録崩れ」から始まった藩内の暗い確...

島津斉彬 肖像画 上半身

「島津斉彬」といえば西郷隆盛を引き立てた英傑です。幕末から明治期に活躍した偉人が、「島津斉彬ほど優れた人物はいなかった」と口を揃えて言うほどです。優れた者は子との縁が薄いと言われますが、斉彬もそのひとりで、子供のほとんどは夭逝しています。正室と側室の間に11人の子がいて、無事成人できたのは3人の娘だけです。そして、幕末期に徳川家に嫁いだ養女の篤姫と後継者に指名された養嗣子の忠義のみ。3人の娘と養子...

島津斉彬 銅像

島津家の家名は、遡れば、何と!鎌倉時代から続いているのですが、南北朝時代、室町時代、戦国時代のさまざまな出来事を経て現代まで家名と血筋が残っているのは他の大名家と比べても極めて稀です。その島津家で、斉彬は第28代当主であり、薩摩藩の藩主としては第11代藩主となります。ここでは、斉彬に至るまでの江戸時代のおもだった薩摩藩主を見て行きたいと思います!薩摩藩の初代藩主・忠恒は、横暴ながらも名君だった??...